天地真理の出身高校

天地真理 ミュージシャン

天地真理卒業高校
国立音楽大学附属高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
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573位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
生年月日
1951年11月5日生まれ
血液型
O型

天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 - )は、1970年代前半に国民的アイドルとして人気を博した日本の女性歌手。埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。

出生時の姓名は齋藤 眞理(さいとう まり)であったが、結婚後の本名は青木 眞理(あおき まり)である。なお「眞理」という名の命名者は、埼玉県比企郡都幾川村・法燈禅林皎円寺(臨済宗妙心寺派)住職であった柳瀬有禅である。

うさぎ年生まれ。蠍座。血液型はO型。2歳の頃、両親が離婚し、母親に連れられて大宮から東京・中野へ転居(1955~1956年、中野保育園に通う)。さらに、世田谷区上北沢に移り、1958年、上北沢小学校に入学。小学5年のころ母親に買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノ(Kreutzer 社製)に親しみ、演奏の腕を上げる。1964年、国立音楽大学附属中学校に入学。中学在学中に練馬区桜台、さらに神奈川県座間市相模台に転居。1967年、国立音楽大学附属高等学校に進学。当初はピアノ科に入るも、そののち声楽科へ転科。高校在学中からジョーン・バエズ等のフォークソングを愛好する。1970年3月、国立音楽大学附属高等学校声楽科卒業。同年4月、「中里音楽事務所」に所属(同年11月には契約破棄)。同年7月、女優・天路圭子(映画監督斎藤耕一の妻)と偶然出会い、芸能界接触の糸口をつかむ。同月、TBS系視聴者参加番組『ヤング720』に出演。同年12月、渡辺プロダクションへの所属が内定。1971年4月、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)との正式契約を結ぶ。デビュー当時の公称では、身長158cm、体重46kg、B83cm、W56cm、H88cmである。趣味は靴の収集。好きな食べ物はメロン。好きな色は青・白。チャームポイントは並びのよい白い歯・ややうわ向きの鼻。憧れの土地はパリ。

1970年代前半に天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなる。後に続くアイドル歌手の基本スタイルを確立した。キャッチフレーズは「(あなたの心の隣にいるソニーの)白雪姫」。なお、デビュー当初には「可愛いアヒルちゃん」という愛称も用いられた。

デビュー当時の所属事務所は渡辺プロダクションであった。その後、渡辺プロダクション傘下の渡辺ワークショップ、エヌ・エンター・プライズ、スムーズクリエイツ、サムシングリアル、有限会社ケイワイと所属替えし、現在は天地真理ファンクラブがマネージメントしている。

梶原一騎の著書『わが懺悔録』(こだま出版、1986年)によれば、自身原作の劇画『朝日の恋人』(のちに、『太陽の恋人』と改題)の主人公の名前「天地真理」を、当時デビュー予定の彼女の芸名に使いたいという申し出が渡辺プロダクション側からあったという。

1971年6月6日、TBS系人気番組『時間ですよ』(第2期・第3期)での銭湯「松の湯」従業員役(川口晶の次のレギュラー)のオーディションを受け、西真澄と一緒に最終審査まで残ったが、合格したのは西真澄であった。しかし、選考時に天地を見た主演の「おかみさん(松野まつ)」こと森光子が彼女の不合格を惜しみ、それまでの台本にない急ごしらえの新登場人物として出演させることを同番組演出の久世光彦らに提案したため、「松の湯の健ちゃん(宮崎健)」こと堺正章がひたすら憧れる「隣のまりちゃん」役(厳密な役名は「マリ」)としてテレビ画面に登場、一躍脚光を浴びた。1971年7月21日の初出演時には、「松の湯」隣家2階の窓辺で白いギターを爪弾きながら「恋は水色」を歌った。

同年10月1日にアイドル歌手として「水色の恋」でデビューし大ヒットした。以後、1974年までにかけて「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」「恋人たちの港」「恋と海とTシャツと」「想い出のセレナーデ」からなる一連の大ヒット曲を発表する。相前後してデビューした南沙織、小柳ルミ子とともに『三人娘』と呼ばれた。ヒット曲は主に『森田公一とトップギャラン』で知られる森田公一が手掛けていたことは有名。オリコンシングルチャートでは5曲が1位を取っており、この記録は、後に松田聖子に破られるまで女性ソロシンガーでの最多記録であった。70年代初期における天地真理ブームは老若男女を問わず厚い層に波及し、正に国民的スーパー・アイドルとなった。

1972年2月5日、「ちいさな恋」発売開始。同年3月19日、「青山タワーホール」にて第1回ファンクラブの集いが開催され、2000人が集合。同年5月21日、「ひとりじゃないの」発売開始。同月28日、「日比谷公会堂」にて初コンサート「真理ちゃんと日比谷でデート」が開かれ、5000人の観衆が集まる。同年7月5日より、TBSテレビ水曜劇場「おはよう」にレギュラー出演。同年9月1日、「虹をわたって」発売開始。同月30日から封切りの松竹映画『虹をわたって』(監督:前田陽一)に主演(星野マリ役)。同年11月16日、「ひとりじゃないの」で第3回日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。同年12月3日、第5回日本有線大賞大衆賞受賞。同月5日、「ふたりの日曜日」発売開始。同月24日、「日本武道館」にて「3人娘クリスマス・ショー」開催。同月31日には第14回日本レコード大賞大衆賞を受賞し、「水色の恋」ピアノ演奏と「ひとりじゃないの」歌唱を披露。

1973年3月、第10回ゴールデン・アロー賞特別賞(1972年度)受賞。同年4月7日、埼玉県所沢市の西武園ユネスコ村での「若葉のささやき」(3月21日発売開始)の新曲発表会において、3万人の入場を予定していたイベント「真理ちゃんと3万人のウィークエンド」に、全国から10万人に及ぶファンが集まる。同月29日から上映の松竹映画『愛ってなんだろ』(監督:広瀬襄)に主演(浅見麻里子役)。同年7月1日、「恋する夏の日」発売開始。同月19~27日、急性盲腸炎のため銀座・菊地病院に手術入院。同年8月14~20日に大阪・梅田コマ劇場で初のワンマンショーを行う。同年10月21日、「空いっぱいの幸せ」発売開始。同年11月18日、ファンとのイベント「真理ちゃん気球に乗って大空へ」が開催され、5000人が参加。同年12月31日、「若葉のささやき」(編曲:竜崎孝路)が第15回日本レコード大賞編曲賞受賞。さらに同月、第6回日本レコードセールス大賞ゴールデン賞受賞。

1973年のブロマイド年間売上枚数が女性部門で1位になる。また、人気アイドルとしてキャラクターグッズ(下敷きなどの文房具やトランプなどの玩具)が多数つくられ、さらにはブリヂストンからは自転車「ドレミまりちゃん」なども発売された。今では当たり前となったアイドルグッズのはしりといえる。

1977年1月23日、甲状腺機能不調などを理由に東京・港区三田の東京専売病院に緊急入院、約1か月後の2月20日には退院するもののひきつづき休養生活に入り、芸能活動を約2年半にわたり休業した。休養期間中は単に心身を休めるのではなく、東京音楽学院に定期的に通ってレッスンに励み、また繁忙期には楽しめなかったショッピング・絵画製作・ひとり旅などを満喫し充実した日々を過ごした。なお、休業中といえどもナベプロ恒例の新年会には欠かさず出席していた。

1979年5月1日、天地は新宿・厚生年金ホールで開かれた「森田公一とトップギャラン結成10周年記念コンサート」に招かれ、ひさびさに公衆の面前に姿を現した。同年6月7日、「天地真理を励ます会」が発起人森光子・森田公一立ち合いのもとCBSソニー録音スタジオにおいて200名を超える取材陣を前に開かれた。復帰会見では「とにかく歌が好き。私には歌しかないと思っていました。」というメッセージをみずから公表し、また、約2年半休業の間ファンクラブが存続していたことに対し支援を忘れなかったファンへの感謝の辞を述べていた。同月10日午前8時5分から放送のTBSラジオ『ラジオリクエスト大賞・森田公一の青春ベストテン』へのレギュラー出演を機にカムバック。このときの所属事務所は渡辺ワークショップである。同月16日からは美顔器「エレンスパック」のテレビコマーシャルにも登場、ナレーションは森光子が務めた。

同年10月15日、東京芝・ABCホールで復帰コンサート「天地真理 明日への出発(たびだち)」(主催:渡辺ワークショップ、CBSソニー) を行う。ファンとより近い会場でという天地の希望により400席のホールで開催され、収容数を100名超えるファンが駆けつけた。特別ゲストに森田公一を迎え、演奏は当時太田裕美のバックバンドであった「コズミックララバイ」と淡海悟郎が担当した。客席で森光子が鑑賞した。このコンサートは翌日のワイドショー番組や新聞等で大きくとり上げられた。

同年12月に森田公一作曲、松本隆作詞「愛・つづれ織り」を発表。ライブハウス新宿ルイード他全国でのミニコンサートを精力的に行う他、テレビおよびラジオでも天地の復帰を祝う番組に多数出演した。翌1980年9月に「初恋のニコラ」(原曲歌唱シルヴィ・ヴァルタン)をカバーし発表するも以前ほどの大ヒットには結びつかなかった。

1982年9月に再々デビュー。所属事務所はエヌ・エンタープライズ。ラジオ日本『思い出の愛の歌』のパーソナリティーを務める。天地と男性局アナによるMCで進行し、洋画の名曲等を紹介するような落ち着いた内容で、30歳を過ぎた天地に合った落ち着いた大人の雰囲気のある番組であった。

当時、東京紀尾井町のホテルニューオータニにあった「クリスタルルーム」においてピーターとレビューショーを行い、天地の新しい魅力としてマスコミに大きくとりあげられた。その後、舞台(芝居)へ意欲的に出演する。沢竜二主演の大衆演劇の芝居、新宿紀伊国屋ホール『上州乱気流』他、下北沢本多劇場でも数々の舞台に参加、『堕落』では御木本伸介とシリアスな芝居にも取り組んでいる。舞台、映画やテレビ等で女優として活躍する傍ら、フジテレビ系の『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演した時期があった。

1983年2月、「私が雪だった日」を歌うことにより、「白雪姫」時代の終幕を飾る。

その後、アダルトへと路線変更し、同年12月にセミヌード写真集を、また1986年にはヌード写真集を発売。にっかつロマンポルノ『魔性の香り』(原作:結城昌治、監督:池田敏春)に主演(滝村秋子役)。1986年、アダルトビデオ『危険なレッスン』(監督:渡辺優)を発売。

1986年3月15日公開の映画『まんだら屋の良太』(原作:畑中純、監督:石山昭信)に出演(芸者お染役)。同年9月、カフェバー経営者と結婚、翌年女児を出産するが、1996年に離婚する。

1990年代前半には太りぎみとなり、明石家さんま司会の番組にしばしば準レギュラー出演、天然風のキャラで人気を博す。1993年公開の松竹映画『中指姫 俺たちゃどうなる?』(監督:堤ユキヒコ)にちょい役出演(銭湯脱衣所で憩うある婦人役)。1994年10月から1995年9月までの1年間、『笑っていいとも!』にレギュラー出演した。

その後、減量に成功し痩身法についての著書『スリムになるってステキなことネ 天地真理の白雪姫ダイエット』(双葉社、1997年)を出版したり、ダイエット商品の広告で雑誌に頻繁に登場したりするようになる。1997年7月、ヘアヌード写真集『東京モガ』を発売。同年、岩下志麻主演の松竹映画『お墓がない!』(監督:原隆仁)に出演(未亡人敏江役)。

2001年まで数年間、ラジオ日本の『天地真理の深夜発熱烈熱愛大放送』(木曜深夜1:00-)という番組のパーソナリティーを務めていたが、同年5月に降板した。降板の理由は更年期障害と言われていたが、本人はこれをきっぱりと否定している。2003年1月からは、同じくラジオ日本の『今夜もノリノリ歌謡曲』(深夜1:00-)の奇数週金曜日をパーソナリティーとして担当。2003年9月には日テレのバラエティ番組『壮絶バトル!花の芸能界 衝撃の天地真理スペシャル!』で、あまりの変貌ぶりに誰もが驚愕するほどかなり太った姿でテレビ出演する。その後、上沼恵美子等が司会を務める関西ローカルのバラエティ番組にゲスト出演することがあった。

2006年10月1日(デビュー曲「水色の恋」発売日から丸35年目の日)には、35周年記念CD-BOX『天地真理 プレミアム・ボックス』が発売された。これは天地の歌手としての業績のほとんどを網羅したモニュメンタルなCD全集である。

2007年以降の天地は、おも立った芸能活動はほとんど行われていない状況だったが、2010年10月19日にTBSテレビ番組『解禁!(秘)ストーリー 〜知られざる真実〜』出演で久々の画面登場を果たす(収録日は歌手デビューの記念日10月1日)。出身校である国立音大附校舎の一室で、かつての三人娘の一人である小柳ルミ子と対談し、アイドル時代当時のファンの過熱ぶり、一時休業に至った際の真相、そして今後の決意を語っていた。

2011年5月25日、天地の代表曲の一つ「ひとりじゃないの」が東日本大震災復興支援チャリティーソングとして、石川ひとみ、伊藤蘭、太田裕美、大島花子、桑江知子、サエラ、ザ・リリーズ、ラヴァーズソウル、広谷順子、中尾ミエ、松本明子、michiko、山下久美子による歌唱で発表されている(2011/05/25 配信 itunes.apple.com)。

デビュー40周年にあたる2011年および2012年にはファンクラブ主催でさまざまな記念イベントが行われている。

2011年10月1日の40周年記念日に、40年前の同日にデビュー曲「水色の恋」を発表した会場、ケネディハウス銀座(旧「銀座メイツ」)において、年来の親友太田裕美を来賓に迎え歌手デビュー40周年祝賀会が催された。同日夜には銀座シネパトスにおいて主演映画『虹をわたって』がニュープリントで上映された。更に、同年11月5日の天地の誕生日には、銀座シネパトスにおいて主演映画『愛ってなんだろ』がニュープリントで上映された。

2012年1月28日、古賀政男音楽博物館けやきホールにおいて「酒井政利のJポップの歩み〜アーティストクローズアップ編〜第14回 天地真理 Part2」が開催され、特別ゲストとして登場した。補助席が出るほどの大盛況で、イベントの最後に「真理ちゃんコール」が会場に響きわたった。同年7月1日、ファンクラブ制作、長女の青木真保プロデュースによりCD『天地真理オリジナル・ミュージック・コレクション』が発売される。天地真理初の作曲作品「子守歌 母の愛」が特別収録されている。久しぶりの新曲(インストルメンタル作品)として発表された。同年8月26日から新潟を皮切りに全国9か所で「天地真理ファンの集い」が開催される。同年9月30日に東京の名画座、銀座シネパトス(映画館)にて主演映画『虹をわたって』および『愛ってなんだろ』の上映と天地と青木の舞台挨拶がおこなわれた。また、このイベントで、有木竜郎率いる若い世代の4人組の天地真理クラシック・ユニット(ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)が「もの想う季節」「子守歌母の愛」「ひとりじゃないの」の演奏を初披露し全国から集まった満員のファンに感動を与えた。同年10月1日よりエフエム軽井沢で新番組「天地真理ミュージック・コレクション」がスタート(初回10月1日には22時から60分の特別番組、その後毎週土曜日17:45~18:00の15分番組)し、IPサイマル放送で配信、全世界のファンへ向けて天地の音楽が発信される。同年12月9日、東京・千駄ヶ谷のサロン・デュオにおいて天地真理クラシック・ユニットによるクリスマス・サロンコンサートが開催された。

2013年5月5日、天地真理についての最初の本格的研究書である『氷の福音 《天地真理》をめぐりたる象徴学的研究』が塩崎雪生によって著述・刊行される。同年6月1日、東京新宿「角筈区民ホール」において、アルバム「私は天地真理」の音源とソニー・ミュージック・ダイレクト所蔵写真とを用い1976年4月17日郵便貯金ホールにておこなわれたコンサートを再現する「スクリーンコンサート」が催された。(この新編集「私は天地真理」映像は、2014年1月より東京・阿佐ヶ谷「アート・アニメーションのちいさな学校地下劇場」において毎月1回上映されている。)

2016年10月1日のデビュー45周年に向けて、「天地真理音楽祭」「天地真理スクリーンコンサート」「天地真理主演映画の上映会」などが天地真理ファンクラブ事務局主催で頻繁に行われており、東京での開催時は天地真理本人の舞台挨拶やファンとの交流会が行われている。又、ファンクラブ会員限定イベントとして「真理ちゃんと京都でお茶会」が毎年春に開催されており、秋のデビュー記念日頃には「天地真理音楽祭」を開催しオリジナルソングを歌ったり、天地真理のオリジナル作品を一流のポップスの演奏家や、クラシックの編成等、様々な演奏形態で披露されている。来年秋の歌手生活45周年では天地真理を讃える「(仮称)天地真理大音楽祭」を開催予定。デビュー後初めて行ったコンサートホール日比谷公会堂(会場未定)にて開催を予定している。45周年記念作品「秋にあなたと」(作詞作曲:穂口雄右氏、編曲:有木竜郎氏)完成。「国民的歌手・天地真理」再評価に向けたプロデュースがより強く発信され、かつてのファンが徐々に戻りつつあり応援の輪は広がって来ている。2015年2月からfacebookで一方的にではあるが天地真理からメッセージが発信されている。

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