大田泰示の出身高校

大田泰示 プロ野球選手

大田泰示卒業高校
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プロ野球選手ランキング
3297位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1990年6月9日生まれ

大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広島県三次市出身の読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。

三次高校で投手だった父の影響を受け、福山市立川口小学校1年の時にソフトボールを始める。5年からは軟式野球クラブ鞆古城クラブでプレー。

福山市立城南中学校2年時に秋の県大会で優勝。中学時代の所属クラブである松永ヤンキースでは上本崇司がおり、中学2年の時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた。同年に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、原辰徳からスイングを褒められたことで原の母校である東海大相模高校への進学を決める。

東海大相模では1年春から三塁手としてベンチ入り。1年秋には4番に座り、2年秋からは主将を務めた。3年春に遊撃手に転向。3年夏の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では大会新記録となる5本目のホームランを放った。甲子園出場は果たせなかったものの、高校通算本塁打65本(うち満塁本塁打5本)、推定140メートル弾を放つパワー、投手として最速147km/hの地肩の強さ、ジーターを彷彿とさせる大型遊撃手であることなどから、ドラフト上位候補としてスカウトの注目を集めた。

当初は東海大学への進学を表明していたが、提出期限日にプロ志望届を提出。ドラフト会議では読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの1位指名を受け、巨人が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約。背番号は松井秀喜のメジャーリーグ移籍以来「準永久欠番扱い」となっていた「55」に決まり[7]、選手寮では松井や坂本勇人らが使った部屋に入居した[8]。

2009年はキャンプから注目を集め、新人ながら原監督から打撃指導を受けた[9]。3月20日のイースタン・リーグ開幕戦に「3番三塁」としてスタメン出場。フェンス直撃のタイムリー二塁打を放ち、公式戦初打点を記録。4月24日の湘南シーレックス戦にて公式戦初本塁打を記録。6月17日に初の1軍昇格。6月21日のロッテ戦で代打として初打席に立ったが、三球で空振り三振に倒れた[10]。以降は二軍でプレーし、「4番三塁」でスタメン出場した8月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2回にダレル・ラズナーからバックスクリーン右へ11号同点ソロ、8回2死一塁の場面で吉崎勝から左中間へ12号2ランとプロ入り初の1試合2本塁打を放った[11]。ファームでは101試合に出場し、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残した[12]。

2010年は一軍出場は2試合のみ。6月12日と13日のソフトバンク戦に「8番一塁」で先発出場したが、計6打数無安打に終わった。一方、イースタン・リーグでは101試合に出場し、打率.265、本塁打21、打点70。本塁打と打点でリーグ2位を記録した[13]。10月23日から台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた[14]。

2011年も開幕を二軍で迎えたが、5月16日に一軍昇格。5月18日の楽天戦、延長10回一死満塁の場面でプロ初安打を放ち、これが決勝2点適時打となった[15]。しかし、守備面の不安に加え、28打席4安打9三振と打撃でも結果を残せず一軍定着はならなかった。より打撃に専念するため、6月以降は二軍で外野手としてプレー[16]。イースタンリーグでは105試合に出場し打率.254、本塁打は6本と大きく減らし、三振はリーグ最多の109。一方で盗塁数はリーグ2位の28を記録した(盗塁死はリーグ最多の15)[17]。秋季キャンプにおいて外野手へのコンバートが正式に決まった[18]。

2012年は年始に阿部慎之助や長野久義らと共にグアムで自主トレを行い[19]、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦では21打席連続無安打など絶不調ながら外野の一角として起用され[20]、自身初の開幕一軍入りを果たす[21]。しかし、開幕後も調子は上がらず4月10日に二軍降格[22]。9月1日に再昇格し同日の横浜戦に「7番一塁」でスタメン出場。先制タイムリーを含む3打点、自身初の猛打賞の活躍でお立ち台に上がった[23]。9月23日のヤクルト戦で待望のプロ第1号本塁打を放つと、9月25日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でもバックスクリーン左に2試合連続本塁打を放った。リーグ終盤戦では一塁手または中堅手などで17試合にスタメン出場。しかし、CS、日本シリーズではベンチからも外れた。11月からはアジア・ウィンター・リーグに参加。3本塁打、OPS.980を記録した。

2013年は二年連続で開幕一軍入りするも、同じ外野手の橋本到や亀井善行らが優先的に起用され、5月2日に登録を抹消されて以降はほぼ二軍でシーズンを終えた。10月5日には自転車で転倒して負傷し[24]、教育リーグの遠征メンバーから外された。11月26日、背番号が44に変更された。

2014年は開幕を二軍で迎え、5月9日に昇格するも結果を残せず5月18日には登録を抹消された。その後しばらくは1軍昇格がなかったが、レスリー・アンダーソン、松本哲也、亀井善行が次々と怪我で離脱し、8月8日に再び1軍昇格。主に松本に代わる守備固め・代走要員として起用されていたが、9月17日の広島東洋カープとの首位攻防戦でこの年第1号となる代打逆転2ランを放つとスタメン起用される機会も増え、リーグ優勝翌日の9月27日にはプロ入り後初めて4番で先発出場し、巨人軍第81代目、平成生まれとしてはチーム史上初の4番打者となった。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された事が発表された[25]。

2015年は、4月30日の中日戦で負傷の坂本に代わり4番に座ると、3安打猛打賞でお立ち台に上がる。5月13日の広島戦では、第1号本塁打を大瀬良大地から放つなどほぼ一軍に定着し7年目でようやく出場機会が増加。最終的には60試合出場、138打席に36安打は自己最多となった。その反面期待された本塁打は前述の1本、打点も3にとどまるなど物足りなさの残るシーズンにもなった。

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