大宮エリーの出身高校
大宮エリー 脚本家
- 大宮エリー卒業高校
- 桐蔭学園高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- 脚本家ランキング
- 29位 / 125人中 脚本家別偏差値ランキング
- 血液型
- A型
大宮 エリー(おおみや えりー、本名:大宮恵里子、1975年11月21日 - )は、日本の脚本家、CMディレクター、映画監督、作家、エッセイスト、コピーライター、演出家、ラジオパーソナリティ。
大阪府出身。血液型:A型。東京大学薬学部卒業。株式会社電通を経て独立、現在は大宮エリー事務所所属。
元々植物が好きで、将来は砂漠でも育つ植物の研究などをしたかったという。また病気の父を治したいという思いで理系学部を受けたいと思うようになった。
理系科目が苦手だったため、学校の先生から「お前は理系の大学に受からない。」と言われたが、その言葉に疑問を感じ、「数学0点でも受かるところはないですか?」と質問し、「一つだけある。東大だ。」の言葉を受け、桐蔭学園卒業後浪人し東京大学に合格、薬学部に進学。
卒業前に、薬剤師の国家試験を受けるように言われたが、「向いてない」と考え、ちょうど受験日がリオのカーニバル当日だったことから「皆がカリカリ勉強しているのに、自分だけが地球の裏側で踊っていたら面白い。」と思い、ブラジルに行っていた。そのため、現在も薬剤師資格を持っていない。薬学部は「向いていない」と感じ転向。商社・自動車メーカー・ガス会社等に応募し落ちた。その後就職活動に際しては、商社、自動車メーカー、ガス会社と数々受け、博報堂にOB訪問したのをきっかけに「言葉に関わる仕事ができる」広告代理店の仕事に魅力を覚え、株式会社電通に入社。
2006年に独立、個人事務所である大宮エリー事務所を立ち上げる。同年初監督作品であるショートムービー「海でのはなし。」がヒットした。
2010年6月29日に、はんにゃのピンチヒッターとして初の「大宮エリーのオールナイトニッポン」が放送。2010年9月16日に、ナインティナインのピンチヒッターとして二回目の放送。2回の単発放送を経てレギュラー化。2011年1月3日から12月26日まで、月曜の枠を担当した。
2012年2月3日から2月27日まで、渋谷のPARCOミュージアムにて初めての個展「大宮エリー「思いを伝えるということ」展 造形と言葉のインスタレーション」が開催された。
大阪府に生まれ、小学校の時に東京に引っ越した。
3歳からヴァイオリンを習っており、ライブで弾くことがある。
小学4年生のときにいじめられた経験を持つが、このときに「人を笑わせるといじめられない」ことを覚え、その後自然といじめもなくなった。
スキューバダイビングのインストラクター資格を持っている。
初監督作品「海でのはなし。」は、スピッツのプロモーションビデオとして製作されたものだったが、リトルモア社長・孫家邦の後押しで劇場公開に至り、上映を果たした。
大宮作品の多くに板尾創路が出演するが、これは「橋田壽賀子と泉ピン子のようにコンビで作品を出し続けよう」という両者の約束によるもの。
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