大塚徹の出身高校

大塚徹 プロ野球選手

大塚徹卒業高校
土浦第三高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
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2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1945年4月18日生まれ

大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - )は、日本の元プロ野球選手。サンケイアトムズ・ヤクルトスワローズ、南海ホークスでプレーした。茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第三高等学校卒業。息子は元東京ヤクルトスワローズの大塚淳。

1964年、茨城県立土浦第三高等学校から国鉄スワローズに入団、入団当初は捕手だったが、その後外野手に転向。ユーティリティープレイヤーとして、代打、守備固めなど、臨機応変に活躍。1971年には主に左投手対策として、60試合に先発出場を果たす。当て馬を使い、その後に大塚か左打者の内田順三が入る例が多かった。

1972年、南海ホークスに移籍、その明るい性格を野村克也兼任監督に買われ、出場機会は少なかったが、ヤジ将軍、ムードメーカーとして常時一軍に帯同していた。フロントから再三整理の対象とされていたが、野村監督がゲームに出ているほどの貢献をしているとしていて、年俸もレギュラークラスはあったといわれる。大量失点で負け越していた試合で、4番である野村監督が凡打で倒れ、ベンチに戻ってくると「監督ほどの高給取りでも打てないんだから、今日はもう気楽に行きましょう!」という元気よい大塚の声で、ベンチに笑いが起きた。あぶさんの初期(1巻~8巻)にしばしば登場している。

カウントはすべて2-3から。1.2.3は6球目ボールで四球、4は7球目。1は代走から守備(LF)に入り回ってきた打席、2.3.4は代打。

1975年、現役引退。引退後は地元土浦市中神立町でスナック「ダッグアウト」を経営。1991年、土浦リトルシニアを結成し監督に就任。

2008年、第6回KOALA CUP(オーストラリア:ゴールドコースト)において、東関東選抜チームを監督として率いて優勝。

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