増子輝彦の出身高校
増子輝彦 議員
- 増子輝彦卒業高校
- 安積高校 偏差値 福島県高校偏差値ランキング
- 議員ランキング
- 439位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1947年10月8日生まれ
増子 輝彦(ましこ てるひこ、1947年10月8日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属の参議院議員(2期)、民主党福島県連代表。
参議院東日本大震災復興特別委員長、経済産業副大臣、裁判官弾劾裁判所裁判長、衆議院議員(3期)、福島県議会議員(1期)、参議院経済産業委員長、ユナイテッド・パワー株式会社監査役を歴任した。
福島県郡山市生まれ。福島県立安積高等学校、早稲田大学商学部卒業。早稲田大学在学中はスキー同好会に所属。大学卒業後、石原幹市郎参議院議員の秘書を経て、1983年に福島県議会議員に初当選した。1986年、福島県議会議員を任期途中で辞職し、第38回衆議院議員総選挙で旧福島1区(定数4)から無所属で出馬したが、得票数6位で落選。なお、かつて仕えた石原幹市郎の長男である石原健太郎も新自由クラブ公認で出馬し、7位で落選している。
1990年、第39回衆議院議員総選挙に再び旧福島1区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選した。選挙後、自由民主党に追加公認される。1993年の第40回衆議院議員総選挙には自民党公認で旧福島1区から出馬し、金子徳之介、根本匠に次ぐ3位で再選。1994年、自民党を離党。元農林水産大臣の鹿野道彦を党首に担ぎ新党みらいの結党に参加した後、新進党に合流。1996年の第41回衆議院議員総選挙には新進党公認で福島2区から出馬したが、自民党の根本匠に敗れ、落選。その後民主党に入党し、2000年の第42回衆議院議員総選挙には民主党公認で福島2区から出馬するも、再び根本に敗北し落選。2003年の第43回衆議院議員総選挙では根本に3度目の敗北を喫したが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、7年ぶりに国政に復帰した。しかし2005年の第44回衆議院議員総選挙では、福島2区で根本に敗れ、比例復活も叶わず落選した。
2007年、民主党所属の佐藤雄平参議院議員が福島県知事選挙に出馬するため、参議院議員を辞職。佐藤の辞職に伴い実施された参議院福島県選挙区補欠選挙に民主党公認、国民新党推薦で出馬し、2年ぶりに国政に復帰した。2009年9月、鳩山由紀夫内閣で経済産業副大臣に任命され、菅内閣まで務める。2010年の第22回参議院議員通常選挙では、福島県選挙区(定数2)でトップ当選し再選されたが、得票数2位で当選した岩城光英(自由民主党)に2,682票差まで詰め寄られる辛勝であった。2011年9月より参議院東日本大震災復興特別委員長。2012年12月、海江田万里民主党代表の下で副代表(原発・復興特命担当)に起用されるが、2014年4月、原子力協定承認案の参議院本会議における採決で、賛成する民主党の方針に反して投票を棄権したため、副代表を解任された。
2015年の民主党代表選挙では長妻昭の推薦人に名を連ねるが、長妻は1回目の投票で最下位に終わった(当選者は岡田克也)。
2014年4月18日の参議院本会議で行われたトルコ、アラブ首長国連邦への原発輸出を可能にする原子力協定の承認案の採決で、賛成する党の方針に反して棄権した。同日、民主党参議院政策審議会長、東日本大震災復興特別委員会理事を解任され、同月22日には党副代表からも解任された。
2014年2月8日、福島第一原子力発電所事故に伴う除染で発生した廃棄物の最終処分場を、安倍晋三首相の地元である山口県に設置するよう求めた中間提言を党執行部に行ったが、党内から「稚拙だ」等の批判が相次いだため、党執行部が中間提言の見直しを決定した。
永住外国人への地方選挙権付与に賛成しており、在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟に参加している。
第44回衆議院議員総選挙落選後の2005年12月から2007年12月まで、2007年8月にマルチ商法に絡んで経済産業省から特定商取引法に基づく連鎖販売の新規契約や勧誘を半年間禁じる業務停止命令の処分を受けていたインターネット機器販売会社「ユナイテッド・パワー」(東京都新宿区)の監査役に就任し、月20万円の報酬を同社から受け取っていた。増子は2007年9月から民主党の次の内閣でネクスト経済産業大臣を務めており、またユナイテッド・パワーが民主党のパーティー券を2度にわたり150万円ずつ、計300万円分購入していたため「不適切」等の指摘を受け、民主党はユナイテッド・パワーに全額を返金している。
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