塩田仁史の出身高校

塩田仁史 プロサッカー選手

塩田仁史卒業高校
水戸短期大学附属高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
プロサッカー選手ランキング
506位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1981年5月28日生まれ

塩田 仁史(しおた ひとし、1981年5月28日 - )は、茨城県日立市出身のプロサッカー選手。Jリーグ ディビジョン2・大宮アルディージャ所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。

小学2年(8歳)時にサッカーを始める。水戸短大付属高校在籍時にGKに転向し2度の国体に出場。

2000年、流通経済大学に進学しサッカー部に入部。「今まで指導した中でNo.1のGK」と中野雄二監督の信頼を掴んだ。1年次から関東大学選抜に選出され、4年次(2003年)には全日本大学選抜としてユニバーシアード大会に出場。共に選出された橋田聡司及び杉山哲を抑え、正GKとして連覇達成に貢献した。この年、横浜F・マリノスの特別指定選手として登録されている。

複数クラブの注目を集める中、2004年に大学を卒業しFC東京に入団。同念は、正GK土肥洋一の日本代表遠征による不在の穴を埋めるべくナビスコカップで準決勝までの8試合に起用され決勝進出に大きく貢献。チームの決勝進出の立役者の一人だったが、浦和との決勝戦では土肥が先発を務め、さらにMVPも獲得。直後の優勝祝賀会では「おいしいところだけをもっていった土肥さんに何かおごってもらいます」と発言して笑いを誘った。同年8月のスペイン遠征にてデポルティーボ・ラ・コルーニャとのプレシーズンマッチにフル出場。その際にデポルティボサポーターからクレヨンしんちゃん(スペインでも放映されている)のパパをもじって「ひろしー、みさえー」とからかわれた(背中の選手名をHITOSHIと表記していたため)。

2006年11月26日、J1第33節浦和戦(味の素スタジアム)にてリーグ戦デビュー。この試合は、浦和の優勝が懸かっていたこと、試合後に功労者である三浦文丈の引退セレモニーが行われること、プロ入り以来目標としてきた土肥のリーグ戦連続出場記録を阻んでの出場だったことから緊張感の高い試合となったが、勇敢なセービングで完封し浦和の優勝決定を阻止した。

2007年には土肥から正GKの座を奪取。塩田の成長はチームにとって大きな収穫となり、土肥が退団した2008年からは、正GKとしての期待をかけられ背番号を「1」に変更。リーグ戦全試合にフル出場した。

2009年1月下旬のグアムキャンプで体調に異変を感じ急遽帰国。当初は熱中症と診断されたが、1週間後に壊死性虫垂炎であることが判明し入院、手術を受けた。術後合併症による麻痺性腸閉塞を併発したため1ヶ月半の入院治療を強いられ、開幕スタメンを20歳の権田修一に譲った。3月19日に退院し、リハビリを開始。4月から部分的にチーム練習に合流。7月29日のナビスコカップ準決勝第2戦名古屋戦で先発出場を果たすが、権田からレギュラーを奪い返すには至らなかった。

2010年も引き続き権田の控えを務めるも、チームはJ2降格となり、同年限りで契約が切れることもあって複数のJ1クラブからオファーを受けたがチームに残留。2011年は序盤戦こそ権田の控えであったが、権田がロンドンオリンピック予選に招集されたことを機に3年ぶりに先発に定着。塩田はこの年のリーグで最小の防御率を記録しシーズンを通して激しい正GK争いを続けた。また、2005年から2011年までは東京での選手会長および日本プロサッカー選手会支部代表を務めていた。

2012年からは第2GKに戻ったものの、戦術眼とコーチングへの評価は高く、2013年には日本人最年長選手としてチームを支えた。2014年限りで11年に渡って在籍したFC東京を退団。

2015年、大宮アルディージャへ完全移籍。加入当初から加藤順大と激しいポジション争いを続けたが、正GKには加藤が定着。

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