城後寿の出身高校

城後寿 サッカー選手

城後寿卒業高校
国見高校 偏差値 長崎県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
1869位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1986年4月16日生まれ

城後 寿(じょうご ひさし、1986年4月16日 - )は福岡県久留米市出身でアビスパ福岡所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

国見高校時代の同期に渡邉千真と藤田優人が、1学年上に平山相太、中村北斗、兵藤慎剛、関憲太郎がいる。 2年時には2003年度の全国高校サッカー選手権を制覇。3年時には主力として出場しベスト4。2回戦の鹿島学園戦ではハットトリックを達成している。また、インターハイでは2連覇(2003、2004年度)を経験した。 卒業後、Jリーグの複数クラブからオファーが届いたが、地元アビスパ福岡に入団した。

国見高校卒業後の2005年にアビスパ福岡に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。

入団時の背番号は26、その後15を付け、2008年シーズンより背番号10を付けている。

2009年の天皇杯2回戦・愛媛FC戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは大久保哲哉と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われたジェフ千葉との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。

J1に昇格した2011年は、第10節の横浜F・マリノス戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、岡本英也(8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。

2011年、アビスパは僅か1年でJ2に降格。この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年もアビスパ福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。城後のもとには毎年のように他クラブからオファーがあった。14年オフにも国内の強豪J1からオファーがあったが、アビスパ福岡と契約を更新し、15年シーズンからキャプテンに就任した。 アビスパの中心選手としてポスターやメディアに登場する機会が多い。

久留米市で生まれ育ち、出身校の久留米市立南小学校の生徒(同級生・同校生徒)の中では、城後=サッカーが上手くズバ抜けているという認識で、将来のプロサッカー選手になるだろうと誰もが思っていた。

さらに身体能力の高さは小学校の頃から有名で、久留米市立牟田山中学校時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録を持つ。

アビスパ福岡入団後、選手寮へ入寮の当日、持ち物は寝具セットしか持って来ていなかった。

2013年6月1日のJ2第17節ロアッソ熊本戦で、GK水谷雄一が負傷するアクシデントが発生。その時点で交代枠を使い切っており、城後が水谷のユニフォームを着用しGKのポジションに就いた。この時既にFWの西田剛が退場しており、福岡は2人少ない状況となっていた。後半ロスタイム(100分)にファビオに同点ゴールを許したが、シュートを2本止める活躍を見せた。

アビスパのサポーターを大事にしている部分がよく見受けられる。自身がレベスタホーム側でゴールを決めると真っ先にサポーター席で喜びを爆発させる。

長くアビスパに在籍し、背番号10番、エース、キャプテンという福岡の象徴であることから、サポーターからは『キング城後』と称えられている。 スタメン発表でもスタジアムDJから「城後"キング"寿」とコールされ、一番の盛り上がりを見せる。 サポーター席の目立つ位置に張られた横断幕にも本人の象徴画の物と『KING・JOGO』と記した物が掲げられている。

本人のチャント(応援歌)はチェッカーズの『ジュリアに傷心』これはチェッカーズが城後と同じ久留米市出身だからという由来がある。

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