吉川昌宏の出身高校
吉川昌宏 プロ野球選手
- 吉川昌宏卒業高校
- 明徳義塾高校 偏差値 高知県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2992位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1978年6月29日生まれ
吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )は、元プロ野球選手(投手)。高知県出身。
中学・高校ともに明徳義塾出身。甲子園には2度出場している。このときすでにサイドスローだった。1996年に第68回選抜高等学校野球大会でベスト8になるも、第78回全国高等学校野球選手権大会は新野高校(徳島)に敗れる。なお、高校の同級生に三都主アレサンドロがいた。
1997年に亜細亜大学へ入学。同期にスワローズで一緒になる松井光介がいた。東都大学リーグ通算31試合登板、9勝3敗、防御率3.23、87奪三振。卒業後の2001年にローソンに入社するも、その翌年に野球部が廃部となる。だがこの年のドラフト会議でスワローズから8巡目指名を受け入団。
2005年に初の開幕一軍入りを果たすと、開幕から8試合連続無失点を記録。石井弘寿と並ぶ61試合登板を達成し、苦手だった左打者に対する被打率は1割台に抑えた。チームトップの23ホールドを挙げ、セットアッパーの一人として欠かせない存在となった。トレードマークである髭は、この年から生やし始めた。古田選手の2000本安打達成と同じ4月24日にプロ初勝利をあげた。
2006年はリリーフの一角として前半だけで23試合に登板したが、6月下旬に肩痛で二軍落ち。夏場をリハビリにあて、9月に復帰した。苦手の左打者には4割以上打たれた。
2007年は43試合に登板し、中継ぎとして奮闘。特に夏場以降安定感を見せた。
2008年、松岡健一、押本健彦、五十嵐亮太、林昌勇らの活躍により、登板機会が減り18登板に留まる。2009年はさらに登板機会が減り、8試合の登板に留まった。
2010年は3月30日の中日戦でシーズン初登板、6回表1死満塁の場面で打者を併殺に打ち取って、ルーキー中澤雅人の初先発初勝利を助けた。その後二軍では好投を続けたものの、一軍では被本塁打による大量失点が響き防御率10.00と不本意なシーズンとなった。
2011年、2軍では37試合に登板し防御率3.25であったが、1軍での登板は無く、10月9日に戦力外通告を受ける。12月2日、自由契約公示された。
退団後は地元高知で、ベースボール&スポーツアカデミー「ExchangeSports」を設立。また明徳義塾高校時代の後輩の縁で高知県のミタニ建設工業の軟式野球部に所属。背番号は18。県大会の準決勝から出場し、ストレートだけで1安打完封するなど優勝に大きく貢献。
2013年6月には西日本大会に出場、リリーフで登板し好投 3位入賞に貢献。
打撃も非凡な才能を持っておりクリーンナップを任されている。2013年6月7日には、柵越え逆転満塁ホームランを放つなど勝負強いバッティングをする。
アンダー気味のサイドスローから、ストレート・ツーシーム・ファストボールに加え、シンカー、スライダー、シュートなどを投げ込む技巧派。特にツーシームは左打者なら懐を抉るような球質、右打者なら相手から逃げるような球質をしているため、相手打者にとってはかなりの脅威となる。
トレードマークは髭とメガネ(ゴーグル)。キャッチャーのサインを見るときにかなり前屈みになる仕草が特徴で、これは木塚敦志をイメージしたという。
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