吉川光夫の出身高校
吉川光夫 プロ野球選手
- 吉川光夫卒業高校
- 広陵高校 偏差値 奈良県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3775位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1988年4月6日生まれ
吉川 光夫(よしかわ みつお、1988年4月6日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。
1988年に福岡県で生まれる。東区の香椎第三中学校時代に所属していたボーイズリーグで全国大会3位まで勝ち進む。県内の高校からの誘いもあったが、熟考の末に広陵高等学校へ進学する。広陵では入学当初から期待されて2年生の春から背番号1を付ける。制球難で四死球を出すことが多かったが素材は高く評価され、同野球部の中井哲之は、吉川について「入学当初から、『こういう子がプロに行くのだろうな』と思った」と後に雑誌のインタビューで言っている。甲子園出場経験は無く、3年生での全国高等学校野球選手権広島大会では、一学年下の野村祐輔(広島)、小林誠司(巨人)らを擁して優勝候補に挙げられたが、準決勝で制球を乱し井上晴哉らのいた崇徳高等学校に敗れている。
9月25日のドラフト会議において、田中将大の交渉権獲得に失敗した北海道日本ハムファイターズが外れ1巡目として指名した。
2007年5月17日に初めて1軍に昇格し、同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)に中継ぎでプロ初登板を果たす。6月8日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利。この試合は雷雨に見舞われたことによる降雨コールドゲームとなったため、一部マスコミでは「カミナリ王子」と呼ばれた。また、この試合のヒーローインタビューはベンチ内で行われた。その後、八木智哉・金村曉が故障で離脱したことで、その穴を埋める形で先発ローテーションの一角に定着した。2007年の日本シリーズでも高卒新人としては中村大成・稲尾和久・堀内恒夫・石井一久以来となる先発登板を果たすものの、勝利を挙げることはできなかった。高校時代からの制球難に課題を残したが、初完投を完封勝利で飾るなどシーズン4勝を挙げ、先発陣がやや手薄な日本ハム投手陣に貢献した。
2008年は前年の活躍からさらなる飛躍を期待されて開幕から先発ローテーションに入ったものの、制球難が一層悪化し、7試合で2勝4敗・防御率6.23と調子の上がらないままセ・パ交流戦前に登録抹消、そのまま一軍に戻ることは無かった。
2009年も開幕を2軍で迎える。7月7日に年上の歯科衛生士と結婚。9月に1軍昇格を果たすと、少ない登板数ながら投球回数を上回るほどの奪三振数を記録したものの、相変わらずの制球難で四死球から点を取られるケースが多く、この年はシーズン未勝利に終わった。
2010年も4月に登板した試合で炎上し、当時のチームメイトだったダルビッシュ有にtwitterで名指しで批判された。その後も先発としては活躍できずにいたが、9月以降は中継ぎとして登板して、4試合4回2/3を失点0に抑えるなど復活の兆しを見せた。
2011年は先発ローテーション争いに敗れて開幕を2軍で迎える。5月末に昇格したものの不安定な投球は一向に改善されず、最少失点で抑えた試合でも打線の援護が無いなどの不運も重なって3年連続のシーズン未勝利に終わった。一方、2軍では好投を続け、イースタン・リーグ投手四冠王に輝いた。
2012年、4月1日の埼玉西武ライオンズ戦では黒星を喫したものの8回1失点と好投を見せ、4月8日の千葉ロッテマリーンズ戦では1438日ぶりの勝利を挙げた。交流戦では内海哲也と並ぶトップタイの4勝を挙げ、防御率1.42と安定した内容でセ・パ交流戦優秀選手賞(パシフィック・リーグ)を受賞した。8月11日の西武戦では、新人以来5年ぶりとなる完封勝利を自身初の無四球で飾ると、次の登板である8月17日のロッテ戦では自身初の2桁勝利をマークするなど、完全復活を印象付けた。最終的にはリーグ2位の14勝を挙げ、自身初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得し、パ・リーグMVPに選ばれチームの優勝の原動力となるなど、前年までの不振を全て払拭したシーズンとなった。しかし、巨人との対戦となった日本シリーズでは一転して肘の痛みと変化球の制球に苦しみ、第1戦、第5戦と先発するが、レギュラーシーズンで3本塁打だったジョン・ボウカーに両試合ともに本塁打を打たれ、いずれも敗戦投手になった。
2013年は、チームトップの160.1回イニングを投げ2年続けて先発ローテーションを守るも前年程の安定感はなく7勝止まりで、黒星もリーグワーストの15敗を喫した。
2014年は自身初となる開幕投手に指名されたものの、4試合で3敗と打ち込まれ2軍降格、シーズン初勝利は5月までずれ込んだ。この年は若手の上沢直之や中村勝らのローテ定着もあってわずか3勝に留まり、規定投球回にも到達しなかったが、クライマックスシリーズでは福岡ソフトバンクホークス戦に登板し6回3失点で勝利投手となった。
2015年は開幕から勝ち星を重ねるなど好調で7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。8月28日のソフトバンク戦では5回1/3を1失点の好投で3年ぶりの2桁勝利を挙げた。最終的にこの年は11勝8敗、防御率3.84と不振を脱却し、リーグ2位に貢献した。
オーバースローから平均球速約144km/h、最速152km/hのストレートと落差のあるスライダー(パワーカーブとも呼ばれるが、本人はスライダーと認識している)、縦に割れるカーブを投げ分け、稀にフォーク、チェンジアップも混ぜる。ストレートを生命線としており、打者のタイミングを崩すことで取れる奪三振を重視するよりも、ボールの勢いでファウルを取れるような強いボールを投げることを意識しているという。
2011年までは通算与四球率4.70と制球難に苦しんでいたが、2012年には与四球率2.33と改善。制球難を気にしすぎる余りに無駄な四死球を出して崩れるパターンが多かったが、2012年に監督に就任した栗山英樹からオープン戦終了時に「(吉川は)いい投手だから厳しくいく。1年間は褒めない。今年ダメだったら(自分が)ユニホームを脱がせる」など厳しい言葉をかけられた他、「フォアボールは出しても良いから思い切り腕を振って投げろ」という言葉を実践することでその持ち前の球威が活き、「四球を出しても別にいい」と開き直ることや抑えることで身に付いた自信が制球力改善の要因になったと語っている。
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