半藤一利の出身高校

半藤一利 作家

半藤一利卒業高校
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半藤 一利(はんどう かずとし 1930年(昭和5年)5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。

先祖は長岡藩士。東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)に生まれる。実父は運送業と区議をつとめる。近所に幼少期の王貞治が住んでおり顔見知りだった。東京都立第七中学校(現東京都立墨田川高等学校)に入学、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲では逃げまどい中川を漂流し、死にかける体験をする。茨城県の旧制下妻中学校(現 茨城県立下妻第一高等学校)を経て、父の生家のある新潟県長岡市へ疎開し、新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)の3年生で終戦を迎え、長岡中学校(旧制5年制)を卒業し、東京へ戻る。官立浦和高等学校(旧制) (学制改革のため1年間で修了) を経て、東京大学へ進学。大学ではボート部で活躍した。東京大学文学部国文科卒業。

1953年(昭和28年)に文藝春秋新社に入社した。同期入社に田中健五。流行作家の坂口安吾の原稿取りをして、坂口から歴史に絶対はないことと歴史を推理する発想を学び、冗談めかして坂口に弟子入りしたと称している。続けて当時『連合艦隊の最後』などで人気を博していた軍事記者の伊藤正徳の担当となり、日本中の戦争体験者の取材に奔走し、『週刊文春』に無署名で「人物太平洋戦争」を連載した。このときに歴史の当事者は嘘をつくことを学び、これらの経験が後に昭和の軍部を描いた作品を書く素地となった。

社内で「太平洋戦争を勉強する会」を主宰して、戦争体験者から話を聞く会を開催。ここから生まれた企画が『文藝春秋』1963年8月号に掲載された28人による座談会「日本のいちばん長い日」である。半藤は座談会の司会も務めた。さらに取材して1965年に単行本『日本のいちばん長い日--運命の八月十五日』を執筆。売るための営業上の都合から大宅壮一の名前を借りて大宅壮一編集として出版された。単行本は20万部、角川文庫化されて25万部が売れた。この他にも30代前半は編集者生活と並行して、太平洋戦争関係の著作を何冊か出す。

『漫画読本』の編集長に就任して1970年に休刊を迎えた後、『増刊文藝春秋』編集長に。ムック「目で見る太平洋シリーズ」「日本の作家百人」「日本縦断・万葉の城」を手掛けた。次いで『週刊文春』編集長となり、ロッキード事件の取材で陣頭指揮を執る。1977年4月に『文藝春秋』編集長の田中健五と入れ替わる形で、田中が『週刊文春』編集長に、半藤が『文藝春秋』編集長に就任。新聞広告や電車の中吊り広告で「編集長が代わりました」と宣伝が打たれて話題を集める。1980年には季刊誌『くりま』の創刊編集長となるが、2年後に第9号で休刊した。

この間の編集長時代の13年ほどは本職に編集業に専念するため、著述活動は控えていた。

1992年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞を受賞、

出版責任者として「書き下ろしノンフィクション」シリーズを手掛け、1988年に全3巻の『「文芸春秋」にみる昭和史』を監修。専務取締役を務めた後、1995年に文藝春秋を退社し、本格的に作家へ転身した。近代以降の日本の歴史を昭和を中心に執筆し、「歴史探偵」を自称する。活動の場をテレビにも広げており、NHK『その時歴史が動いた』など歴史番組にもよく出演している。

1998年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞、2004年、『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞。

2006年(平成18年)7月20日に『日本経済新聞』が「昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀に不快感」と報じた際には、元資料となった「富田メモ」(宮内庁長官を務めた富田朝彦の日記メモ)を記事化前に秦郁彦らとともに鑑定し、これを本物と断定した。

2009年に語り下ろしで出した『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』は単行本で45万部、平凡社ライブラリーでは23万部の売れ行きを示した。

保守派と見なされているが、文藝春秋社内では『諸君!』を創刊してタカ派スキャンダル路線と言われた田中健五とは距離を保っていた。原子力発電所については人間の手に負えない危険なものとして懸念してきた。太平洋戦争(大東亜戦争)当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年[いつ?]は護憲派としての活動を積極的に行っており、「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

当時の社内では昭和史と太平洋戦争を勉強する者は珍しく「お前は『半藤』ではなく『反動』だ」と言われたという。

作家司馬遼太郎とは、半藤が『文藝春秋』編集者時代からの付き合いであり、親交が深かった。司馬の没後、関連論考・著書を発表した。また半藤は司馬が書こうとして書けなかった、『ノモンハンの夏』を執筆した。同じく長い付き合いのある秦郁彦や保阪正康との共著も多い。

文春文庫ビジュアル版の「B級グルメ」シリーズにおいても、洒脱な記事を執筆している。

妻の半藤末利子は、松岡譲(作家)・筆子(夏目漱石の長女)夫妻の四女で、漱石周辺に関する随筆を多く執筆している。

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