千葉真一の出身高校
千葉真一 タレント
- 千葉真一卒業高校
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- 412位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 血液型
- O型
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
日本を代表する映画スターとして海外ではSonny Chiba (サニー ちば)の名で知られている[11][12][13][14][15][16]。特技の器械体操や極真カラテ四段[17]・少林寺拳法弐段・乗馬・スキーを活かしたアクロバティックなスタント・擬斗・殺陣に定評がある[11][14][16][18]。吹き替えに頼らないで自ら演じるアクションスターの元祖ともいえる存在で[11][18]、映画・テレビドラマ・演劇・コマーシャルメッセージと半世紀以上にわたり、幅広く活躍している。愛称 : 千葉ちゃん[注釈 1]。ジャパンアクションクラブ (JAC ) の創始者。
本名 : 前田 禎穂 (まえだ さだほ)、所属事務所 :アストライア[注釈 3]。
福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕。父親は大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親は熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた。テストパイロットの父親は初めて建造された空母へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった。4歳の時、父親が千葉県木更津市へ異動となったため、家族で千葉県君津市へ転居した。終戦後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、米以外は不自由せずにいろいろな食物を食べることができ、自分の土台となった」と当時を述懐している。君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う。松本は千葉を陸上競技・バレーボール・野球(投手で4番打者)など、複数の大会に出場させていた。この頃ヘルシンキオリンピックが開催され、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する。松本はその時勢に乗り、千葉を「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、運動部を掛け持ちしながら練習し始める日々となった。勧められての体操競技だったが、やがてオリンピックで日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[11][18]、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格。入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[11]。その一方でアラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、西部劇・アメリカ映画を夢中で観ていた。
1957年、日本体育大学体育学部体育学科へ進学。同級生には東京オリンピックの跳馬金メダリストの山下治広がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬銀メダリスト・竹本正男に指導を受けた[11]。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、学費を稼ぐために時給が高い土工や引越しのアルバイトを、身体鍛錬も兼ねて並行していた。大学2年生の夏、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1年間運動禁止」と宣告されたため、1週間も練習を休めば差がつくこの時期に選手を続けることが困難となった。休学も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学[注釈 4]。将来を模索し始めた千葉は、実家に帰る途中の代々木駅で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し、東映ニューフェイスを受験するよう勧められていたことから応募した。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす。しかし父親は芸能界入りを猛烈に反対して千葉を勘当した。
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