千葉和彦の出身高校
千葉和彦 プロサッカー選手
- 千葉和彦卒業高校
- 日生学園第二高校 偏差値 三重県高校偏差値ランキング
- プロサッカー選手ランキング
- 659位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1985年6月21日生まれ
千葉 和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は、北海道釧路郡釧路町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはDF(センターバック)。
欧州リーグからキャリアをスタートさせた逆輸入Jリーガー。
足元の技術も高く対人能力の高いセンターバックで、ボランチとしてもプレーする。
小学校3年生から本格的にサッカーを始め、地元北海道の釧路富原FCに入団。その後、単身三重県に渡り、津市立橋北中学校に入学。2001年から特待生として日生学園第二高等学校(現・青山高等学校)に進学し、三重県県選抜メンバーの一員として毎夏オランダやスペインに海外遠征した。高校入学当初はFWだったが、夏以降にボランチへコンバート された。高校の1年先輩に尾崎瑛一郎がおり、2002年高校2年の時に西村弘司や飛弾暁を擁する四中工を破り 同校初の全国高校サッカー選手権大会への出場を果たした。
高校卒業後はプロ入りを目指していたが、Jリーグクラブからのオファーがなかったため 知人を頼って単身オランダへ渡り、2004年1月にオランダ2部リーグのAGOVVアペルドールンに入団テストを経てアマチュア契約を締結。親の仕送りに頼りながら サッカーに励み、2004-05シーズン中盤からウリエ・コールホフ(オランダ語版)監督にアンカーで起用され、リーグ戦21試合に出場した。シーズン終了後にコールホフ監督がオランダ2部のFCドルトレヒトに移籍すると、コールホフから引き抜かれる形で同クラブとアマチュア契約を締結することが内定していたが、2005年7月に知人を頼って練習参加していたアルビレックス新潟監督の反町康治からラブコールを受け、同年8月に新潟とプロ契約を交わして 正式に入団した。新潟入団当初もボランチでプレーしたが、人材不足のため3バックのDFにも入った。
2006年から新潟監督が鈴木淳に交代したがコンスタントに試合出場を重ね、チーム状況に応じてボランチとセンターバックでプレー。2007年はCBのレギュラーとして活躍し、リーグ中断前にクラブ史上最高位となる3位にまでなる原動力となり、同年10月には反町が率いるU-22日本代表に選出された。なお、この年はドーピング禁止規定に接触するステロイド系が含まれる薬剤(塗り薬)を使用したとしてクラブ側から活動自粛を言い渡されていたが、その後のJリーグ側の調査でこの薬剤は使用方法が適切なら問題のないもので改めて行われたドーピング検査も陰性であったことから活動を再開した。Jリーグ側も「自粛するほどの大きな問題ではなかった」と回答している。2008年はチームに負傷者が続出してJ1残留争いに巻き込まれながらもそのユーティリティー性を活かしながら奮闘し、U-23日本代表予備登録メンバーに選出された。
2009年はチームが4-3-3システムを採用したため出場機会が減ったが、2010年からチームの副将に就任。シーズン通してCBで起用され、2011年から正式に登録ポジションをDFに変更した。2011年8月6日のJ1第20節清水エスパルス戦で90+4分にFWアンデルソンが放ったコーナーキックをヘッドで合わせ、プロ7年目にして初ゴールを決めた。
2012年、前年まで新潟でヘッドコーチを務めた森保一が監督に就任するサンフレッチェ広島へ森保と行動を共にする形で完全移籍した。移籍初年度の2012年は出場停止の1試合を除く33試合にCBとしてフル出場し、広島のJ1初優勝に貢献した。なお、2012シーズン唯一の出場停止となった第33節セレッソ大阪戦が、広島のJ1初優勝を決める試合となった。
2013年、東アジアカップ2013の国内組のみで構成される日本代表に初選出された。7月25日のオーストラリア戦で代表戦初出場。
2014年、11月11日に一般女性と入籍したことを発表。
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