北方悠誠の出身高校
北方悠誠 プロ野球選手
- 北方悠誠卒業高校
- 唐津商業高校 偏差値 佐賀県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3297位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1994年1月25日生まれ
北方 悠誠(きたがた ゆうじょう、1994年1月25日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(投手)。
友人の誘いで小学2年から野球を始めた。当時は遊撃手。唐津市立湊中学校では、軟式野球部に所属し遊撃手兼投手としてプレーする。
唐津商業高に進学後は、1年時の夏からベンチ入り。2年春からエースとして活躍。夏は佐賀県予選初戦で敗退するも、秋は県大会全5試合で完投勝利を挙げて優勝に貢献した。
3年夏は、佐賀県予選準々決勝で延長15回を完投、翌日の再試合も完投するなど、計57回888球を投げ抜き優勝し、第93回全国高等学校野球選手権大会への出場を決める。この頃から、本気でプロ野球選手になることを考えたという。甲子園では、1回戦の古川工業高戦で13奪三振を記録し9-4で勝利するも、続く作新学院高戦では153km/hをマークして10三振を奪うが2-3で敗れる。甲子園通算成績は18回、防御率2.00、奪三振23。
第9回AAAアジア野球選手権大会では日本代表に選ばれ、2試合3回を無失点に抑えて金メダル獲得に貢献した。
2011年10月27日のプロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。11月23日に、契約金8000万円、年俸720万円(いずれも推定金額)で入団契約を結んだ。背番号は28。
2012年には、高卒ルーキーながら一軍昇格を期待されたが、実際には一軍昇格の機会がなかった。二軍でも、イースタン・リーグ公式戦6試合の登板で、防御率6.91と乱調。公式戦の終了後には、フェニックスリーグに参加していたにもかかわらず、「チームの内規違反などがあった」という理由で一軍監督の中畑清から途中で参加を取り止めさせられた。
2013年も二軍生活に終始。しかし、秋季キャンプで150km/h台のストレートを連投したことから、中畑からは一軍のクローザー候補に指名された。さらに、キャンプ終了後に参加した台湾でのウィンターリーグでは、ストレートで自己最速の158km/hを計測した。
2014年には、一軍の春季キャンプに参加したものの、公式戦を二軍でスタート。入団前からスリークォーターだった投球フォームを6月中旬からサイドスローに変えたが、7月下旬にはオーバースローに戻した。この頃から、投球動作中に腕が止まるなど、イップスの症状に悩まされるようになった。当時北方が通っていた民間のイップス研究機関によれば、球速が110km/hまで落ち込んだばかりか、キャッチボールも困難なほど深刻な状態だったという。結局、一軍公式戦への登板機会がないまま、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。
2014年11月9日に、12球団合同トライアウトへ参加。さらに、翌10日からテスト生として福岡ソフトバンクホークスの秋季キャンプに参加したところ、同月22日に育成選手として契約するに至った。背番号は137。
2015年には、三軍で9試合に登板。通算投球イニング5回1/3で18与四球・3与死球を記録するほどの制球難で、支配下登録選手への復帰ばかりか、二軍(ウエスタン・リーグ)公式戦への登板も果たせなかった。8月以降は制球の改善や球威の増加が見られたものの、10月4日に自身2度目の戦力外通告を受けた。
11月10日に2年連続で12球団合同トライアウトへ参加。トライアウトでは、ストレートで最速146km/hを計測する一方で、打者3人に対して1被安打1与四球という結果を残した。11月30日に独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスへ入団することが発表された。
全身を使ったスリークォーターのフォームから投じるストレートで、最速158km/h(ウインターリーグ時の記録、日本での最速は156km/h)を計測したほどの本格派右腕。その一方で、スライダー・カットボール・カーブ・フォークといった多彩な変化球も投げる。
躍動感のある投球に加えて、高校3年生の夏に佐賀県大会・全国大会を通じて1180球を投げられたほどのスタミナも魅力である。しかし、上記のフォームでは右腕の位置が定まらず制球も安定しなかった。そのため、制球力を改善すべく、DeNAへの入団3年目にサイドスローへ転向した。ところが、持ち味であるストレートの球速が130km/h前半にまで落ちたことから、およそ1ヶ月でオーバースローに戻している。
実父は、中学生時代に藤井将雄と同じ野球チームへ所属。藤井が福岡ダイエーホークスへ入団してから夭折するまでは、後援会の事務局長を務めたこともあった。北方も幼少期に、藤井とのキャッチボールを経験している。その縁で、横浜からのドラフト指名後には、指名を受けた旨を藤井の墓前に報告。その3年後には、前述した経緯から、福岡ダイエーの後継球団であるソフトバンクへ移籍した。
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