加納由理の出身高校
加納由理 スポーツ選手
- 加納由理卒業高校
- 須磨学園高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- スポーツ選手ランキング
- 21位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1978年10月27日生まれ
加納 由理(かのう ゆり、1978年10月27日 - )は、日本の女子陸上競技選手。
専門種目は長距離走(5,000m・10,000m)、ハーフマラソンおよびマラソン。身長152 cm、 体重40 kg。
兵庫県高砂市出身。私立須磨女子高等学校を経て立命館大学経済学部卒業後、2001年に資生堂入社。資生堂ランニングクラブの一員となった。
資生堂では主にトラック、駅伝を中心に活動。2005年の横浜国際女子駅伝では、日本代表チームの一員として最長区間の2区 (10.0 km) を走り、区間賞(区間新記録)で優勝に貢献した。翌年12月の全日本実業団女子駅伝でも、最長区間の5区 (11.6 km) を走り、資生堂を初優勝に導いている。
2007年は加納の大きな転機となった。1月、自身初のフルマラソンとなる大阪国際女子マラソンに出場し、原裕美子・小崎まりに続く3位に入賞した。2007年世界陸上大阪大会女子マラソン代表の有力候補であったが、最終的に代表補欠に留まった。4月、路線対立がきっかけで川越学が資生堂を辞めセカンドウィンドAC(SWAC)を設立すると、加納もこれに従った。
2007年9月、北海道マラソンに出場。レース中盤辺りから独走となり、フルマラソン初優勝を果たした。気温30℃を超す猛暑の影響もあってか、ゴール後は軽い熱中症により優勝インタビューができず、医務室へ運ばれた。
2008年は北京オリンピック出場を目指しての挑戦と挫折の連続であった。1月、北京五輪の選考レースとなった大阪国際女子マラソンに2年連続出場したが、17 km過ぎで踵の故障悪化により途中棄権となった。
その後足底筋膜炎と判明するも、順調に回復し、大阪マラソンから42日後の3月、北京五輪の最終選考会である名古屋国際女子マラソンに出場。終盤まで先頭争いを演じる健闘を見せたが、あと一歩及ばず、中村友梨香、尾崎好美に次ぐ3位だった。なお好美はSWACのチームメイトだった尾崎朱美の妹である。
6月の札幌国際ハーフマラソンではハーフマラソンの自己新記録を達成、優勝を果たした。11月、最後の開催となった第30回東京国際女子マラソンに出場するも、優勝した尾崎好美に終盤の38 km手前でかわされる。その後先頭を走っていた渋井陽子を追い抜き自己ベストを16秒更新したが、2位に留まった。
2009年2月、特別招待選手として泉州国際市民マラソンへ出場したが、30 km付近で途中棄権。それからわずか1週間後、最後の開催となった横浜国際女子駅伝では日本代表で2区を走り、区間賞獲得。その結果、日本チームは優勝を果たし、有終の美を飾った。
3月、日本陸上競技連盟理事会において、前年の東京国際女子マラソンの成績により、2009年世界陸上ベルリン大会女子マラソン代表に初めて選出された。4月、ロンドンマラソンに出走するも、日本女子では森本友に続いて2番目、女子全体で11位に終わった。
8月、世界陸上ベルリン大会女子マラソンでは、優勝した白雪や2位の尾崎好美らが30 km過ぎから仕掛けたスパートにはついていけなかったものの、レース終盤も粘り続けた結果7位入賞を果たす。なお団体戦では日本代表で銀メダルを獲得した。11月、ニューヨークシティマラソンに出走したが、6Km付近で他選手と転倒に巻き込まれるアクシデントが響き、9位に終わった。
2010年3月、名古屋国際女子マラソンに出場。20度近い高温のためスローペースとなる中、31Km過ぎの登り坂で自らスパートすると、その後独走となる。その結果、2時間27分台のゴールタイムながらも、北海道マラソン以来2年半ぶり2回目のフルマラソン優勝を成し遂げた。この名古屋の優勝が評価され、2010年11月に中華人民共和国・広州市で開催されるアジア競技大会女子マラソン日本代表選手に、同チームメイトの嶋原清子と共に選出された。
7月の札幌国際ハーフマラソンでは気温29度という暑さの中、2年ぶり2回目の優勝を達成。しかし、期待された11月の広州アジア競技大会女子マラソンは、体調不良の影響により、18Km付近で優勝した周春秀(中国)らの先頭集団から脱落。その後は嶋原清子らにも追い抜かれて7位に留まった。
2011年3月、名古屋国際女子マラソンに2連覇を目指して出場予定だったが、本番2日前に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で同マラソン大会が中止となる。その後も同年4月開催の海外レースへのエントリーはせず、同年8月の2011年世界陸上大邱大会女子マラソン代表入りを断念した。
2011年8月31日、SWACを退部。その後同年10月1日付で、4年半ぶりに資生堂ランニングクラブへ復帰する事となった。
2012年のロンドンオリンピック女子マラソン代表選出を目指し、当初は2011年11月の横浜国際女子マラソン、又は2012年1月の大阪国際女子マラソンにエントリー予定だったが、共に足の疲労骨折など故障が回復せず欠場。国内選考会では最後となる2012年3月の名古屋ウィメンズマラソンに強行出場したが、レース序盤の5Km付近で先頭集団についていけず、殆ど優勝争いに加われないまま27位に終わった。同年9月のベルリンマラソンに再起を賭けてスタートラインについたが、結局途中棄権だった。
2014年5月12日、所属する資生堂を通じて引退を発表。同月末には退社し、以後はマイペースでマラソンを続ける意向である。
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