円城塔の出身高校
円城塔 作家
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円城 塔(えんじょう とう、男性、1972年9月15日 - )は、日本の小説家。本名非公開。ペンネームは、複雑系の研究者である金子邦彦の書いた短編小説「進物史観」に登場する物語生成プログラムの一つ「円城塔李久」に由来する。公式のローマ字表記はEnJoeToh。
北海道札幌市出身。札幌市立啓明中学校、北海道札幌南高等学校を経て、東北大学理学部物理第二学科に入学。大学生時代はSF研究会(現・東北大学SF・推理小説研究会)に所属。この時期の東北大学には、薬学研究科に瀬名秀明、文学研究科に佐藤賢一、法学部に伊坂幸太郎、理学部に松崎有理など、後に小説家となる人物が複数在学していた。
1995年に東北大学を卒業、以降は物理学ではなく学際的な領域に専攻を変え、2000年に東京大学大学院総合文化研究科博士課程を修了、博士(学術)の学位を取得した。
北海道大学、京都大学、東京大学で博士研究員として働く。34歳の時、次年度の研究費と給料を得る見込みがなくなり転職を決意。2007年より有限会社シングラムのウェブ・エンジニアとなる。2008年10月に退職し、専業作家となる。
研究の合間を縫って書き溜めていた原稿を指導教官の金子邦彦に見せたところ、金子から小松左京賞か日本ファンタジーノベル大賞に応募するよう勧められた。それをきっかけに、2006年(平成18年)の第7回小松左京賞に応募し、「Self-Reference ENGINE」で最終候補作となるが落選。同作を早川書房に持ち込みしたところ、当時SFマガジン編集長の塩澤快浩に認められ、2007年(平成19年)に刊行されてデビュー。まったく同じ経緯で『虐殺器官』が刊行された伊藤計劃と、この時から親交を結び、のちに共作を行うようになる。
2007年(平成19年)、「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」で第50回群像新人文学賞第二次選考通過。同年「オブ・ザ・ベースボール」で第104回文學界新人賞受賞、同作品で第137回芥川龍之介賞候補となる。2010年(平成22年)、「烏有此譚」で第23回三島由紀夫賞候補、第32回野間文芸新人賞受賞。2011年(平成23年)、「これはペンです」で第145回芥川賞候補。同年、第3回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。2012年(平成24年)、「道化師の蝶」で第146回芥川龍之介賞受賞。東北大学出身の芥川賞作家は、北杜夫以来で2人目。同年、咲くやこの花賞(文芸その他部門)受賞。同年、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で第31回日本SF大賞特別賞、第44回星雲賞日本長編部門受賞。
2013年フィリップ・K・ディック記念賞に『Self-Reference ENGINE』(英語訳:Terry Gallagher)がノミネートされた。日本人としては2010年の伊藤計劃に続き2人目のノミネートとなる。2014年4月19日、同賞の次点に当たる特別賞に選ばれた。
SFや前衛文学などの意匠が混在する作風である。独特の論理展開、奇妙な理論を真面目に突き詰める文章が特徴のひとつである。「つぎの作者につづく」、「烏有此譚」、「後藤さんのこと」などの作品には注釈やカラーリングなどの奇妙な仕掛けを用いており、日経エンタテインメント!は、「数理的小説の第一人者」と称した。芥川賞選考委員の黒井千次は「普通の小説とは違っている。読んで楽しい、面白い、ハラハラするという小説ではありません。一種のフィクション論ではないかと」、「それ(=芥川賞選考の際に評価された点)を説明すること自体が難しい小説」と評した。
大学院で論文を通じて、文章に書く事に慣れたと自認している。「僕が研究している物理学の分野は、論文という思い付きを主張しているようなところもあったんです。研究を進めるなかで思いついたネタのうち、論文に膨らませられなかったものを小説にしているような気がしますね」と発言している。
影響を受けた作家として安部公房を挙げている。またほぼ同世代・同時期にデビューして早世した伊藤計劃について「大変優れた書き手であって、大変僕も影響を受けた作家」と語り、伊藤が遺した約30枚の未完成原稿を引き継いで完結させる意思を表明していたが、その作品は『屍者の帝国』として2012年8月に出版された。
妻はホラー作家の田辺青蛙(2010年に結婚)。妻のペンネームにちなんで、カエルのピンを身につけている。以前は東京で一人暮らしをしていたが、結婚を機に近畿地方へ転居し、現在は大阪市都島区に在住。
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