八木義徳の出身高校
八木義徳 作家
- 八木義徳卒業高校
- 室蘭栄高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
- 作家ランキング
- 338位 / 702人中 作家別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1911年10月21日生まれ
八木 義徳(やぎ よしのり、1911年10月21日 - 1999年11月9日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。
北海道胆振国室蘭郡室蘭町大字札幌通4丁目(現在の室蘭市中央町1丁目)に、父「田中好治」、母「八木セイ」の次男として生まれる。1924年(大正13年)4月に北海道庁立室蘭中学校(現在の北海道室蘭栄高等学校)に入学し、北海道帝国大学附属水産専門部製造科(現在の北海道大学水産学部)に進学するも中退。1933年(昭和8年)4月に第二早稲田高等学院を経て、1935年(昭和10年)4月に早稲田大学文学科仏蘭西文学専攻に入学し、1938年(昭和13年)3月に卒業。高等学院時代の1934年(昭和9年)10月に中村八朗、辻亮一、多田裕計らと同人雑誌「黙示」を創刊し、大学時代には第三次『早稲田文学』復刊に参加する。
有島武郎とドストエフスキーに心酔し、横光利一に師事、1937年、『海豹』発表。満州理化学工業に入社、1944年、応召中に「劉広福(リュウカンフー)」で第19回芥川龍之介賞受賞(小尾十三「登攀」と同時受賞)。
以後長い作家歴を持ち、作品には『母子鎮魂』(1946)、『私のソーニャ』(1948)、『摩周湖』(1971)、『風祭』(1976、翌年読売文学賞受賞)などがある。
晩年、評価が高まり、1988年に、日本芸術院賞・恩賜賞。その翌年から日本芸術院会員。1990年には『八木義徳全集』全八巻(福武書店)が刊行され、菊池寛賞を受賞した。
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