佐田繁理の出身高校
佐田繁理 サッカー選手
- 佐田繁理卒業高校
- 長崎南山高校 偏差値 長崎県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 755位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1954年12月13日生まれ
- 血液型
- A型
佐田 繁理(さだ しげり、1954年12月13日 - )は、長崎県長崎市出身の芸能プロモーター、元サッカー選手。現さだ企画代表取締役社長。兄はシンガーソングライターのさだまさし。妹は歌手の佐田玲子。血液型はB型。
高校卒業後には台湾大学へ留学し、サッカー部で活躍。1975年に香港サッカーリーグの東方足球隊でプレーした経験を持つ。
1年間でサッカー選手のキャリアを閉じ引退。その後は英語の勉強のためニュージーランドへ留学し、「グレープ」解散後にソロとなった兄のまさしから声をかけられ、さだの個人事務所「さだ企画」を手伝うため、1977年に帰国した。
その後は兄の人脈で映画出演等を行うが、本格的に芸能界の道へは進む事はなかった。1991年春には「さだ企画」の社長となり、以降、兄・妹そしてチキンガーリックステーキを支えている。
芸能活動はしていないものの、兄さだまさしのヒット曲と同タイトルの映画『関白宣言』(1980年公開)に主演したことがある(当時のクレジットはさだ繁理)。これは、当初さだまさしに出演依頼が来ていたのだが、まさしは当時『翔べイカロスの翼』という映画を制作中であり、スケジュールが合わないという理由から弟を紹介したところ(佐田兄弟は見た目が似ている)、監督が気に入ったため出演となった。また1983年には『ふしぎな國・日本』にも出演した。兄のまさしによれば映画『連合艦隊』でも出演オファーが来ていたらしい。
さだ企画事務所スタッフも出演するような公演(いわゆるファンクラブ対象のまさしんぐWORLDコンサートなど)に出演した事はあり、その時は兄妹の名にあわせ「さだ繁理」と表記することもある。
ポジションはフォワード(左ウイング)。長崎南山高等学校時代に長崎県選抜に選出され九州大会に出場。卒業後の1973年に台湾大学へ留学し、サッカー部に入部。台湾大在籍中の1974年に関係者から日本名を名乗る華僑の子と勘違いされ、サッカー台湾代表に招集されたという逸話も残されている。
翌1975年、台湾大のチームメイトの父親がスカウトを務めていた縁で香港のサッカークラブ「東方足球隊」に入団。台湾大への復学も考えていた為、1年間の期限付きの入団であった。
当時はこの移籍に関し、地元紙に小さな記事が出た程度であった。まず2軍戦でテストを受け初戦で2得点を記録、5試合程プレーした後に公式戦デビューを飾った。その後は2軍戦を含め20試合前後に出場した。なお、7試合出場2得点との説もあるが、3得点以上はとっていたとのこと。兄との約束もあったことから、8か月後に退団し台湾大へ復学した。
以上の点から「日本人初のプロサッカー選手」として紹介されることがある。しかし当時はまだ在学中で、復学も考えていたことから、佐田は給与を断り、代わりに小遣い代の名目での月給で約10 - 15万円の給与を受け取っていたことから、正式なプロ契約ではないと考えることもできる。実際には大学生で、プロサッカー選手に該当したかどうかには異論がある。しかしその場合も、海外のプロリーグで活躍した初めての日本人であったことには変わりはなく、海外組第一号であった。
2008年3月、栃木県に「FCエルマーノ那須」という中学生年代のサッカークラブを設立。監督の茂木亮一(元住友金属工業選手)とコーチの5名で指導を行っている。
兄であるさだまさしの楽曲にはしばしば「弟」が登場する。
このほか、「案山子」は留学中の繁理を題材に歌ったものといわれる。また、まさしの児童文学作品『ふうせんのはか』は、少年時代の繁理が縁日で買った風船(妹の玲子が最初は飛ばしてしまい、泣いてるところをもう1個買ってもらって、玲子の指に結びつけてやったが、水素ガスが抜けてがしぼんでしまったためショックを受け、墓を作ったエピソードが元になっている。さらに、まさしのステージトークのネタには「弟と犬」という、小学生の頃に妹の玲子を咬んだ近所の犬に繁理が腹を立て、犬に真剣勝負を挑んだ時の話があり、『さだまさしトーク・ベスト』に収録されている。
一方、妹の佐田玲子も「兄貴をよろしく」という楽曲を作っている(アルバム『CINQ』に収録)。直接のモデルではないものの、白鳥座の楽曲に「タイムアップ」というサッカーをモチーフにしたものがあり(アルバム『DENEB』に収録)、当時白鳥座のマネージャーであった繁理の影響がうかがえる。
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