伊藤秀範の出身高校
伊藤秀範 プロ野球選手
- 伊藤秀範卒業高校
- 駒場学園高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1842位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1982年8月22日生まれ
伊藤 秀範(いとう ひでのり、1982年8月22日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。
現在は、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズで投手コーチを務めている。
横浜市立市ヶ尾中学校卒業後、駒場学園高校に入学。那須野巧とは高校の同期で当時エースナンバーは伊藤が背負っていたが、プロ入りは那須野が先となった(伊藤は那須野のことを「身近な目標」と語っている)。卒業後は本田技研工業に入社して狭山野球部に所属。同期に尾形佳紀(現・広島スカウト)がいる。
狭山野球部では選手層が厚く登板機会に恵まれなかったことから、四国アイランドリーグのトライアウトを受験し合格、2005年に香川オリーブガイナーズに入団。1年目のシーズンからエースとして12勝を挙げ、最多勝利のタイトルを獲得。2006年シーズンはチーム最多の11勝を挙げ、チームの総合優勝に貢献した。
2006年11月21日に行われたプロ野球ドラフト会議の育成選手枠を対象とした2次指名で、東京ヤクルトスワローズから1巡目で指名を受けた。2006年12月7日契約。獲得の決め手となったのは、2006年11月15日の秋期キャンプ中の、香川対ヤクルトの練習試合における好投である。ヤクルトは前年育成枠での獲得に否定的な見解を示していたが、この試合での好投が監督の古田敦也の目に止まり、監督の要望で指名されることになった。なお試合は9対5で香川が勝っている。
2007年シーズンは育成枠でスタート。背番号105は担当スカウトだった岡林洋一の現役時代の背番号15の間に0を入れたものである。オープン戦に育成選手が出場できることが決まり、3月17日付けで初の一軍合流を果たした。3月20日の対中日ドラゴンズ戦で、オープン戦初登板初先発初勝利。ほぼベストメンバーの中日に対し、5回3被安打2四球1失点と結果を残したことから、1軍の公式戦に出場可能となる支配下選手への登録が決まった。3月26日正式に支配下選手登録を発表。背番号も52に変更。背番号52は香川オリーブガイナーズ時代のトレーナー、川畑勇一がヤクルト時代つけていた背番号である。推定年俸600万で再契約している。開幕一軍メンバーにも抜擢されたが、シーズン開始後は痛打を浴びて二軍降格。ファームでも良い時と悪い時の差がはっきりしていたが、投手不足から8月23日に再度一軍に昇格した。9月7日の中日ドラゴンズ戦で公式戦初先発するも、2回を8被安打・6失点で敗戦投手となった。
2008年シーズンは二軍スタート。8月3日付けで一軍登録され、8月4日の広島東洋カープ戦で11ヶ月ぶりの先発となったが、1イニングを4安打2失点の内容で1回のみで交代となった。8月11日に一軍選手登録を抹消。10月7日、戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加した。
2009年1月6日、元香川の芦沢真矢が監督を務めるベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブへの入団が決まり、3年ぶりに独立リーグに復帰。背番号は香川時代と同じ14番を付けた。この年は12勝8敗1セーブで防御率2.32の成績を収めたが、2009年のシーズン終了後、自らの申し出により退団した。本人は現役を続ける意思を表明していた。
2009年12月17日、古巣である香川オリーブガイナーズに翌年から復帰することが発表された。背番号は以前の在籍時と同じ14番である。
2011年6月29日、選手契約の解除を受け、現役を引退。成績不振で辞任した天野浩一の後を受け、香川の投手コーチに就任した。この転身は、肩の不調に加え、監督の西田真二から「苦しんだ経験を生かし、若手を育ててくれ」という要望を受けたことが大きかったという。コーチ在任中に冨田康祐・又吉克樹・寺田哲也・篠原慎平・松本直晃の5人がNPBのドラフト指名(冨田と篠原は育成選手枠)を受けている。このうち又吉については話し合いながらフォームを矯正してリーグ史上最高の2位指名を勝ち取り、スカウトからは「よくここまで伸ばした。ありがとう」と言われたという。また、篠原は肩の故障で愛媛マンダリンパイレーツを退団後、トライアウトを受けた際に140キロの投球が可能なことを見て「能力はやはり高い。ちゃんとフォームを修正したら復活の余地はあると思います」と監督の西田に進言して香川に入団させたと述べている。
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