伊藤準規の出身高校
伊藤準規 プロ野球選手
- 伊藤準規卒業高校
- 名古屋市立北高校 偏差値 愛知県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1991年1月7日生まれ
伊藤 準規(いとう じゅんき、1991年1月7日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
小学生の時に稲沢リトル(硬式)で野球を始め、中学時代は父親が創設したヤングリーグ「西尾張ドリームス」でエースとして全国大会に出場。高校進学にあたっては、地元の私学からの誘いもあったが、愛知県では愛工大名電、中京大中京、東邦高校など一部私学が甲子園出場寡占状態であることもあって、甲子園出場を目指す本人の希望もあり、越境して岐阜城北高校へ進学する。
岐阜城北高校時代は1年秋からエースとして活躍し、夏の県大会ではノーヒットノーランを達成し、チームの中軸打者として本塁打も記録している。3年夏の県大会ではベスト4で敗退。
2008年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け11月30日に仮契約した。12月13日に入団発表され、背番号は18に決定した。一般的に中日のエース番号は20であると言われているにも関わらず、落合監督がエースナンバーは18であると言った事からも、入団時から将来のエースとして高く期待されている。
2009年9月30日の巨人戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初登板を果たす。直後の10月3日にはファーム日本選手権の先発投手として登板、5回1/3を無失点に抑え勝ち投手となった。同年のクライマックスシリーズでは第5戦の9回に登板している。
2010年は開幕ローテーション入りし、開幕3戦目(3月28日)の広島戦でプロ入り初先発を果たす。4月4日には阪神戦で、8回を1失点に抑えプロ初勝利を挙げた(中日ドラゴンズの10代先発勝利投手は1989年の今中慎二以来21年ぶり)。ただし次の巨人戦ではクイックモーションができずに簡単に盗塁を許し、2回3失点でKOとなり二軍落ちした。その後は右ヒジ痛もあって一軍に戻ってくる事はなかった。
2011年は7月3日の巨人戦で同季初登板し、5回途中までを完全に抑えるなど7回2/3を2失点に抑えて勝利投手となり、交流戦後初のチームのカード勝ち越しに貢献した。10月1日の阪神戦では急遽リリーフに上がり勝利投手になったが、同年は2勝で終わる。
2012年は1勝に終わるも、同年のクライマックスシリーズファイナルステージの第2戦に先発。巨人打線を相手に7回2/3を2失点と好投し、勝利投手となった[7]。2013年4月3日のウエスタン・リーグ広島戦での登板中、右肘に違和感を訴え、4月9日に右肘関節外側側副靱帯損傷と発表された[8]。オフにはこの年のドラフト1位で入団した鈴木翔太が背番号18を付ける事になった為、65に変更する事になった。
2014年は、8月に一軍に昇格。8月22日の巨人戦では、中継ぎとして登板するも、1回を1失点で敗戦投手となるが、その後は勝ち星こそつかなかったものの、6先発中4回でクオリティスタートするなどした。
長身からオーバースローで投げ下ろす、最速153km/hのストレートとツーシームを武器に力で抑え込むスタイル、大きく縦に割れるカーブを中心にフォーク・スライダーなどの変化球で緩急をつける。
クイックモーションと故障の多さを課題としている。
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