伊藤壇の出身高校
伊藤壇 サッカー選手
- 伊藤壇卒業高校
- 登別大谷高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 1980位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1975年11月3日生まれ
伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海道札幌市出身のサッカー選手、モデル。ポジションはミッドフィールダー。
アジア諸国を転々とし、現在までに日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータンの18の国・地域のリーグでプレーしている。
大学卒業後の1998年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団。2年間プレーするが戦力外通告を受けた。退団後は故郷に戻り、地元の社会人チームに所属していたが、サッカー雑誌に載っていたシンガポールサッカー事情の記事を読んで一念発起、海外へと渡った。
渡航後しばらくは現地の少年サッカーチームのコーチを務めたが、2001年にウッドランド・ウェリントンFCの所属選手となり、助っ人外国人選手として活躍。
2004年、香港・傑志蹴球隊所属時代に香港リーグ選抜に選出され、カールスバーグ・カップに出場した。プレシーズンマッチではイタリアの名門ACミランと対戦、勝利している。2005年に所属したマレーシアのペナンでは、「Tsunami」のニックネームで親しまれた。2006年にはブルネイオールスターゲームでMVPを獲得している。
2009年から2010年にかけてIリーグのチャーチル・ブラザーズでプレー。2011年、ミャンマーナショナルリーグ (MNL) のラカプラ・ユナイテッドに移籍。さらに同シーズン中にネパールリーグ(MMC)のマナン・マルシャンディFCに移籍した。
2013年度は2月よりUFLのグリーン・アーチャーズ・ユナイテッドでプレーし、前期終了の4月まで8試合に出場した。契約延長の打診も受けたが、「親日の国で興味があり、以前から選択肢の中にあった」というモンゴル・リーグのエルチムに移籍することとなった。
2014年からはラオス・リーグ初の日本人選手として、LAO TOYOTAに移籍。その後出番を求めて、同リーグのYotha F.C.にレンタル移籍。
2015年、ブータンのティンプーFCと契約、日本人プロ契約選手第1号となった。
名門世家加義在籍時には試合開始直後Kick off goalを記録。ギネス記録達成かとマカオ、香港などで大きく取り上げられた(実際の映像がビデオカメラのみであり不認定)。
香港の新聞や地元札幌の雑誌DominGoなどにコラムを掲載中。サッカーを通してアジアで得た貴重な経験を多くの人々に伝えている。
サッカー選手偏差値ランキング
職業から有名人の出身卒業高校を探す
サッカー選手偏差値ランキング