伊藤和雄の出身高校

伊藤和雄 プロ野球選手

伊藤和雄卒業高校
坂戸西高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
3297位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1989年12月13日生まれ

伊藤 和雄(いとう かずお、1989年12月13日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。

小川東中学校時代に野球を始めた頃は、控えの二塁手であった。

坂戸西高校で投手となり、2年時の秋からエース。3年時の夏は、埼玉県予選3回戦で武藤祐太擁する飯能南高に敗れる。

広島を3度の日本一に導いた古葉竹識が東京新大学野球連盟に加盟している東京国際大学で指揮を取ることを知り進学。1年時の春からリーグ戦に登板。4年時の春にはエースとなり、3完封を含む7勝を挙げ同校を初のリーグ優勝に導きMVPとベストナインを獲得した。この活躍で、東京ヤクルトスワローズが外れ1位候補に検討、他の複数球団からも上位指名にリストアップするなど球界からの評価も高まった。

2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受けた。東京国際大学からは初のドラフト指名選手である。11月24日、契約金4000万円、年俸800万円で入団合意した。背番号は17。

2012年には、同姓・同年齢・同期入団の伊藤隼太と共に、新人ながら一軍キャンプに参加。キャンプではストレートに磨きをかけた。しかし、2月22日に右肩を痛めた後に、右肩関節周囲炎との診断を受けて一軍キャンプを離脱。開幕を二軍で迎えた。9月29日にマット・マートンと入れ替わる格好で一軍に初昇格。10月3日の中日戦での先発で一軍デビューを果たしたが、4回7安打4失点(自責3)で一軍初黒星。一軍公式戦への登板は、この試合だけで終わった。

2013年には、2年連続で一軍キャンプに参加。2月26日に京セラドーム大阪で開かれた2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表との強化試合では、救援登板の2イニングで日本代表打線を完全に抑えたことから、非公式記録ながらセーブポイントを獲得した。しかし、その後のオープン戦で結果を残せなかったうえに、利き腕である右腕の肘の故障などで公式戦開幕後も二軍生活に終始。ウエスタン・リーグでも、公式戦12試合の登板で、1勝1敗、防御率11.57に終わった。シーズン終了後の11月11日には、育成選手として契約を更改。背番号も117に変更した。ゼネラルマネジャーの中村勝広は、契約更改後に伊藤和を「正直なところ、大学出身の投手で、ファームでの防御率(が11点台に終わったこと)は物足りない」と評するとともに、「(伊藤和の本来の)力はこんなもんじゃない。もう1回(支配下登録まで)はい上がってきて欲しい」という言葉で伊藤に奮起を促していた。

2014年には、育成選手として春季キャンプを二軍で迎えた。しかし、キャンプから実戦登板で好投を続けた末に、オープン戦の途中から2シーズン振りに一軍へ合流。さらに、3試合(4イニング)に登板したオープン戦で8奪三振、防御率0.00という好成績を残したことから、一時は「公式戦の開幕前後に支配下登録選手へ復帰 → 先発要員として一軍に登録」という青写真が報じられていた。3月下旬に右肩の違和感を訴えたことから、公式戦開幕時点での復帰は見送られたものの、首脳陣は開幕直後から伊藤を中継ぎ要員として起用することを模索。4月11日に支配下登録選手への復帰と背番号92への変更が発表されると、即日一軍へ登録された。登録後は公式戦の救援で好投を続けてていたが、6試合目の登板になった5月5日のヤクルト戦(神宮)に4番手で2回を投げて6点を失うと、翌6日に登録を抹消された。

本来は、力み無く球持ち良い腕の振りから投げ下ろす最速150km/hのストレートが武器。スライダー・フォーク・チェンジアップなど縦の変化球のキレも良く、外角低めへきっちり投げ込める制球力とスタミナも合わせ持つ。

右肘を痛めた2013年には、ストレートが最速でも140km/hを下回るほど投球フォームを崩したため、入団2年目にして育成契約での再契約を余儀なくされた。このため、2014年には、二軍投手コーチ・久保康生の指導でフォーム改造に着手。その結果、オープン戦序盤の時点で、ストレートは最速で147km/hにまで回復した。

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