中田廉の出身高校
中田廉 プロ野球選手
- 中田廉卒業高校
- 広陵高校 偏差値 奈良県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3775位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1990年7月21日生まれ
中田 廉(なかた れん、1990年7月21日 - )は、大阪府出身の広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。旧姓野林(のばやし)。
小学5年時に野球を始め、八尾ファイターズに入る。以来投手一筋。長吉西中時代は長瀬タイガースに所属。中学3年生の時には関西選抜メンバーに選ばれる。この頃から最速137km/hを記録する速球派投手だった。
広陵高等学校に進学し、1年春から公式戦に出場した。1年秋には明治神宮野球大会で、2年生では第79回選抜高等学校野球大会でも登板し、広陵のエース候補筆頭だった。しかし同年夏の広島県予選で不調となり、第89回全国高等学校野球選手権大会の準優勝メンバーに入ることはできなかった。
3年生になると再び頭角を現し、背番号3の投手兼一塁手として夏のメンバー入り。広島県予選では主戦投手として活躍し、第90回全国高等学校野球選手権記念大会出場に大きく貢献。1回戦の高知高校戦で先発し、90回大会では最速の148km/hを記録。チームは2回戦で横浜高校に敗退。高校3年夏の公式戦では31打数13安打10打点を記録するなど打者としても注目されていた。
2008年10月30日のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、同年11月17日に契約金7000万円・年俸720万円(金額は推定)で仮契約。ドラフト指名時には「どこの球団でもいいと言っていたけど、カープが一番よかったです」と会見で述べ、涙を流した。
2009年は体調不良でファームでも1試合の登板に留まり、体重も増加したが、体調の戻った翌2010年は80kg前後に絞り、7月16日の中日ドラゴンズ戦でプロ初登板を果たした。また、台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選出されたものの、直前に左太もも裏肉離れの怪我をしたため、やむなく辞退した。
2013年後半には中継ぎとして一軍定着。クライマックスシリーズでの登板も経験した。
2014年はチーム救援投手の中で唯一年間を通して一軍に帯同。6・7回を中心に、チーム事情によって8回での登板、回跨ぎをするなどセットアッパーとしてフル回転で活躍し、66試合78 2/3回を投げている。特に6月半ばまでは防御率0点台をマーク、磐石のリリーフ陣の一角を担った。
2015年シーズンは右肩の故障によりたった5試合のみの登板だった
190cm近い長身から投げ下ろす平均球速約139km/h、最速149km/hの速球と縦横のスライダー、カーブ、フォークなどの多彩な変化球が武器の本格派右腕。
高校時代の寮ではスポーツ店で貰ったカープのポスターを貼っていた。
父は元プロ野球選手で広島にも在籍したこともある野林大樹。叔父(母の実妹の夫)は元近鉄の村上隆行。親子で広島に在籍するのは永田徹登、永田利則以来2組目。さらに村上の義弟(村上の実妹の夫)はDeNAの中村紀洋で、食事を共にしたり、野球を始めた小6の頃に中村の自宅へ遊びに行ったことがある。その時にグラブとバット、そしてトレーニングウエアをプレゼントされ、今でも宝物として大切にしている。
同じ大阪のボーイズリーグのチームである忠岡ボーイズのエースには前田健太が在籍していた。カープ入団の背番号は、前田のルーキー時と同じ34番。11月の仮契約の際には「(前田健太さんは)坂本さんや田中さんよりも凄かった。憧れです。話を聞きたいです」と目を輝かせていた。前田健太は「ドラフトの時から気になってました。僕の昔を知っている人は少ないので、嬉しいです。自分もやることが多いですけど、ピッチャーでは下から2番目(の年齢)ですし、今年は一軍を経験できたので色々と教えてあげたいです。先輩には聞きにくいと思うので、気さくに話しかけたいですね」と述べている。
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