中村彝の出身高校
中村彝 芸術家
- 中村彝卒業高校
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- 23位 / 327人中 芸術家別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1887年7月3日生まれ
中村彝(なかむら つね、 1887年7月3日 - 1924年12月24日)は、大正期の洋画家。明治20年(1887)現在の水戸市に生まれる。男3人女2人の5人兄弟の末子であったが、兄2人と姉1人は彝が十代の時に相次いで亡くなる。父は彝が生まれた翌年に没しており、母も彝が11歳(満年齢、以下同)の時に没した。明治40(1907)年、祖母が死に、唯一生き残った2番目の姉が嫁いでからは天涯孤独の身となり、一人暮らしを余儀なくされる。彝自身も結核を病み、療養のため学校(陸軍中央幼年学校)を中退した。明治38年(1905)、18歳の時、転地療養のため千葉県北条湊に赴き、この地で水彩スケッチを始めた。翌年から白馬会研究所、次いで太平洋画会研究所で洋画の勉強をするが、その間にも千葉県などへ転地療養を繰り返している。明治42年(1909)第3回文展に初入選。翌明治43年(1910)には第4回文展で『海辺の村』が3等賞となり、この作品は実業家今村繁三が購入する。明治44年(1911)、新宿・中村屋の主人・相馬愛蔵夫妻の厚意で、中村屋の裏にある画室に住むことになる。相馬夫妻は、彫刻家・荻原守衛(おぎわらもりえ)や中原悌二郎をはじめ多くの芸術家を支援していた。大正2~3年(1913-1914)にかけての彝の作品には相馬家の長女・俊子をモデルにした裸婦像が数点あり、2人の親密な関係が伺われる。彝は、俊子に求婚するが反対され、この失恋が元で煩悶することになる。
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