上野順恵の出身高校
上野順恵 スポーツ選手
- 上野順恵卒業高校
- 旭川南高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
- スポーツ選手ランキング
- 1661位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1983年7月1日生まれ
- 血液型
- O型
上野 順恵(うえの よしえ、1983年7月1日 - )は、北海道湧別町出身の日本の女子柔道選手である。階級は女子63kg級。段位は四段。身長163cm。血液型はO型。得意技は体落と大外刈。三井住友海上に所属している。姉はアテネオリンピックおよび北京オリンピック女子柔道70kg級金メダリストの上野雅恵で、妹の上野巴恵は70kg級の世界ジュニアチャンピオン。
柔道は3歳の時に両親が運営していた湧別町道場で始めた。小学生時代にはいじめられていたこともあったが、柔道をやっていたことでだんだん強くなり、自分に自信が持てるようになっていったという。六合中学に入学すると、全国中学校柔道大会に1年の時は52kg級、2年の時には56kg級で出場するが、決勝トーナメント1回戦で下諏訪中学の徳久瞳に上四方固と判定でそれぞれ敗れた。3年の時には56kg級で2位となった。旭川南高校に進むと、全国高校選手権63kg級において、同級生で後に57kg級の世界チャンピオンとなる当時52kg級の佐藤愛子とともに2年連続優勝を成し遂げた。3年の時には国体少年女子の部で佐藤とともに北海道チームの優勝に貢献すると、全国女子体重別決勝では元世界チャンピオンである筑波大学の前田桂子を有効で破って優勝を飾った。福岡国際では決勝まで進むも筑波大学の谷本歩実に指導で敗れた。
2002年3月のハンガリー国際でシニアの国際大会初優勝を飾った。4月には姉の雅恵が所属する三井住友海上に入社すると、体重別決勝では谷本を注意で破って初優勝を飾ったが釜山アジア大会代表には選出されなかった。続いて全日本女子選手権にも出場して準々決勝で筑波大学の薪谷翠に横四方固で敗れたものの5位となった。5月にはフランスジュニア国際で優勝した。6月の実業柔道団体では早くもチームの優勝に貢献することになった。9月には済州島で開催された世界ジュニアにおいてオール一本勝ちの優勝を果たした。続いてバーゼルで開催されたワールドカップ国別団体戦では準決勝のフランス戦でリュシ・ドコスを合技、決勝のキューバ戦ではアナイシス・エルナンデスを注意で破りチームの優勝に大いに貢献することとなった。しかし、11月の全国女子体重別で3位にとどまると、12月の福岡国際では決勝で谷本に一本背負投で敗れて2年連続2位に終わった。
2003年2月のフランス国際決勝では世界チャンピオンであるベルギーのジェラ・バンデカバイエに有効で敗れて2位となった。4月の体重別決勝では谷本をGSの末に2-1の判定で破って2連覇を達成して、70kg級で優勝した姉との姉妹優勝を果たしたものの、世界選手権代表には選出されなかった。5月の実業柔道団体では2連覇を達成した。8月の実業柔道選手権では初優勝を飾った。9月に大阪で開催された世界選手権では団体戦において出場する機会を得て、チームの優勝に貢献した。さらに10月に済州島で開催されたアジア選手権でも優勝を果たした。今大会の優勝により、谷本が世界選手権の3回戦で敗れたために得られなかったこの階級のアテネオリンピック出場権を確保する格好となった。11月の講道館杯では3位に終わったものの、12月の福岡国際では決勝で谷本をGSに入ってから効果で破って初優勝を飾り、70kg級で優勝した姉とともに姉妹優勝を果たすことになった。
2004年2月のドイツ国際では決勝でオーストリアのクラウディア・ハイルをGSに入ってからの指導で破って優勝を飾るものの、4月の体重別では準決勝でセコムの吉澤穂波に有効で敗れた。国際大会では好結果を残していたものの、今大会で3位に終わったことによりアテネオリンピック代表の座を逃すことになった。6月の実業柔道団体は3位だった。8月の実業柔道選手権では2連覇を飾った。11月の講道館杯決勝では体重別で敗れた吉澤を効果で破って優勝した。12月の福岡国際では3回戦でドコスに有効で敗れるなどして5位に終わった。
2005年2月のフランス国際決勝ではフランスのファニー・リアボフを袈裟固で破って優勝を飾ると、4月の体重別決勝でもコマツの谷本を指導1で破り、今大会2年ぶりの姉妹優勝を果たすが、世界選手権代表に選出されることはなかった。5月にタシュケントで開催されたアジア選手権では2度目の優勝を果たした。6月の実業柔道団体では優勝に貢献した。8月の実業柔道選手権では3連覇を達成した。9月にカイロで開催された世界選手権では団体戦において出場する機会を得たものの、チームは3位にとどまった。11月の講道館杯では決勝で谷本を指導2で破り2連覇を達成した。続いて韓国国際でも優勝するが、福岡国際では準決勝で吉澤に技ありで敗れて3位にとどまった。
2006年2月のフランス国際では決勝でドコスに有効で敗れた。4月の体重別では準決勝で東海大学の平井希にGSに入ってから効果で敗れて3位に終わった。6月の実業柔道団体では2位だった。9月にパリで開催されたワールドカップ国別団体戦では3位にとどまったが、この大会では代表メンバーに選ばれたものの全試合に谷本が出場したため出番はなかった。11月の講道館杯決勝では体重別で敗れた平井に雪辱して3連覇を果たした。12月の福岡国際では準々決勝でドコスに指導1で敗れた。
2007年2月にはドイツ国際に出場するが、初戦でハンガリーのブリジッタ・サボーに指導2で敗れた。4月の体重別では決勝で谷本にGSに入ってから小外刈の技ありで敗れた。5月にクウェートシティで開催されたアジア選手権では3度目の優勝を飾った。6月の実業柔道団体では2位だった。8月の実業柔道選手権では優勝を飾った。10月に深圳で開催された東アジア選手権では個人戦、団体戦とも2位に終わった。11月に北京で開催されたプレオリンピック大会では優勝を果たしたが、翌日の世界団体では初戦のキューバ戦でドリュリス・ゴンサレスに敗れると、最終的にチームも3位にとどまった。12月の嘉納杯では決勝で谷本に大外刈で一本勝ちして、70kg級を制した姉ともども姉妹優勝を果たした。
2008年2月のフランス国際では決勝でドコスに大外刈で敗れて2位だった。続くドイツ国際では3回戦で試験的に階級を上げてきた57kg級の世界チャンピオンである北朝鮮のケー・スンヒを技ありで破ると、決勝でも後の北京オリンピック70kg級決勝で姉の雅恵が朽木倒で一本勝ちすることになるエルナンデスを指導1で破り優勝を果たした。4月の体重別では決勝で谷本を指導1で破って優勝するものの、北京オリンピック代表に選出されることはなかった。女子代表監督の日陰暢年によれば、この階級の代表選考では揉めたものの、上野は国際大会において技の掛け潰れが多い傾向にあり、谷本よりも一本を取れる技が備わっていないというのが選出されなかった理由だと説明した。しかしながら、一連の代表選考大会においてライバルの谷本に2連勝して(そのうちの1つは一本勝ち)、国際大会でも多くの一本勝ちを収めて好成績を残しながら(プレオリンピック、嘉納杯、ドイツ国際で優勝、フランス国際2位 計20戦のうち14戦で一本勝ち)上野が選出されないのは「極めて気の毒」、あるいは「理不尽な評価」とする見方もあったものの、基本的にマスコミは同じ体重別の48kg級決勝でトヨタ自動車の谷亮子が三井住友海上の山岸絵美に敗れながらもオリンピック代表に選出されて物議を醸すことになった一件のみを大きく取り扱うばかりで、63kg級における代表選考の是非に注目することはほとんどなかった。引退後のインタビューでは、2005年の体重別で優勝しながら世界選手権代表に選ばれなかった時は、技あり以上のポイントを取っていないからダメだと周囲から言いくるめられるうちに、結果として自分で自分を納得させていった。しかし、今回はさすがに選考方法に疑問を持ち、「何で勝ったのに選ばれないんだろう」と悔しくて納得できなかったという。6月の実業柔道団体では78kg超級の選手であるコマツの杉本美香を指導で破るなどしてチームの優勝に貢献した。8月の実業柔道選手権では5度目の優勝を飾った。10月に東京で開催された世界団体でもチームの優勝に貢献した。11月の講道館杯でも決勝で平井を指導2で破って優勝を飾った。12月の嘉納杯では決勝でスロベニアのウルシカ・ジョルニルに判定で敗れて2位にとどまった。
2009年2月のグランドスラム・パリ決勝では平井に総合勝ちするなどオール一本勝ちで優勝を果たした。続くグランプリ・ハンブルクでも決勝でオランダのエリザベト・ウィルボーダスを有効で破り優勝を飾った。4月の体重別決勝では谷本をGSに入ってから体落の技ありで破ったことにより、ようやく谷本を押し退けて初の世界選手権代表に選出されることになった。体重別決勝で谷本を破ったのは今回で実に5度目のことであった。5月のグランドスラム・モスクワでは決勝でフランスの伏兵であるマリエル・プルボーに有効で敗れて2位にとどまった。6月の実業柔道団体では2位だった。8月にロッテルダムで開催された世界選手権では初戦から得意の大外刈などで一本の山を築くと、決勝でも地元のウィルボーダスを合技で破り、オール一本勝ちの圧勝で姉の雅恵に続いて世界チャンピオンとなった。12月のグランドスラム・東京では決勝で谷本歩実の妹であるコマツの谷本育実を指導3で破って優勝を飾った。
2010年1月に水原で開催された世界ランキング上位16名の選手によって争われるワールドマスターズに出場すると、決勝で地元韓国の孔慈英を袈裟固で破って優勝を飾った。2月のグランドスラム・パリでは準決勝でオランダのアニカ・ファンエムデンにGSに入ってから有効で敗れて3位にとどまった。4月の体重別ではぎふ柔道クラブ24の田中美衣を指導2で破り世界選手権代表に選出された。6月の実業柔道団体では3位だった。続くグランドスラム・リオでは優勝を飾った。2010年9月に東京で開催された世界選手権では初戦から順調に勝ち上がるも、準決勝ではグランドスラム・パリで敗れたファンエムデンに苦戦して判定に持ち込まれるが3-0で勝利すると、決勝では田中と対戦してやはり旗判定までもつれ込むものの3-0で破って、世界選手権2連覇を達成した。11月の広州アジア大会では、準決勝で北朝鮮の金秀京に「グーで5、6発も殴られた」格好になり、左目が大きく腫れ上がったものの指導2で退けると、決勝でも台湾の王沁芳を袈裟固で破って優勝を果たした。試合後の検査では打撲と診断された。全柔連は今回の件で国際柔道連盟に上野が殴られたとされる準決勝の映像を提出して問題提起した。12月のグランドスラム・東京では3回戦でスロベニアのヴロラ・ベデティにGSに入ってから指導2で敗れた。
2011年1月にバクーで開催されたワールドマスターズ決勝ではフランスのジブリズ・エマヌに指導2で敗れて2位にとどまった。2月のグランプリ・デュッセルドルフ決勝ではイスラエルのアリス・シュレジンガーを判定で破って優勝した。4月の体重別にはほぼ同時期にアブダビで開催されるアジア選手権に出場するためエントリーしなかった。アジア選手権では準決勝で韓国の丁多雲に判定で敗れて3位に終わると、団体戦準決勝の韓国戦でも丁多雲に指導2で敗れるが、チームは優勝を飾った。8月にパリで開催された世界選手権では2回戦でアジア選手権で連敗した丁多雲を横四方固で破ると、3回戦では昨年のアジア大会で何度も殴られて打撲させられた金秀京を大外刈で一蹴、準々決勝ではファンエムデンをGSに入ってからの有効で競い勝つと、準決勝でもジョルニルをGSにおいて横四方固で破るが、決勝では地元のエマヌに0-3の判定で敗れて3連覇はならなかった。続く団体戦決勝のフランス戦でもエマヌにGSに入ってから指導2で敗れると、チームも2位にとどまることになった。9月にはパリで開催された日仏対抗親善柔道大会に出場して、クラリス・アグベニューに大外刈と横四方固の合技で一本勝ちした。12月のグランドスラム・東京では決勝でジョルニルに指導2で敗れた。
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