上泉雄一の出身高校

上泉雄一 アナウンサー

上泉雄一卒業高校
宝塚西高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
アナウンサーランキング
1447位 / 1802人中 アナウンサー別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1969年2月9日生まれ

上泉 雄一(うわいずみ ゆういち、1969年2月9日 - )は、毎日放送(MBS)アナウンスセンター所属のアナウンサー(役職はアナウンス副部長 → アナウンス部次長)。愛称『うわちゃん』。JNN・JRN系列局の優秀なアナウンサーに贈られるアノンシスト賞で、2008年度のグランダ・プレミオ(大賞)を受賞。

兵庫県の出身で、兵庫県立宝塚西高等学校から早稲田大学教育学部へ進学。卒業後の1992年に、アナウンサーとしてMBSへ入社した。同期入社の社員には、武川智美(アナウンサー)や新堂裕彦(後述、テレビ・ラジオ番組のプロデューサー)、井口岳洋(東京支社制作副部長・テレビ番組のプロデューサー)などがいる。ちなみに、5歳から(東京都内での大学生活をはさんで)毎日放送入社後の25歳頃までは、宝塚市で暮らしていた。

毎日放送への入社後は、『あどりぶランド』『おかえりワイド』『ちちんぷいぷい』『せやねん!』など、テレビ・ラジオを問わず多数の番組に司会やリポーターで出演している。2006年10月以降は、『ちちんぷいぷい』『せやねん!』などに出演しながら、ラジオでナイターオフ期間限定の生放送番組『上泉雄一の発信!UWAらじお』でパーソナリティを担当。2009年の春まで、3期にわたって、ナイターオフの平日夜間に冠番組を続けた(後述)。

『ちちんぷいぷい』では、主に金曜中継のリポーターとして出演(後述)。2004年4月からMBSテレビで放送を開始した『あん!』(平日早朝・関西ローカルの情報番組)で、単独では初めてレギュラー番組の司会(メインパーソナリティ)を担当した。番組編成上の事情で『あん!』が終了した2005年4月以降は、平日14時台に始まった『っちゅ〜ねん!』で総合司会を務めた。

2009年の4月改編からは、前述の『せやねん!』に加えて、ラジオの帯番組『上泉雄一のええなぁ!』でメインパーソナリティを担当。この改編を境に、週に6日のペースで、生放送番組にレギュラーで出演している。2012年10月1日から2013年3月15日までは、『プリプリ』(MBSテレビで平日の10時台に生放送中の帯番組)に「けさのニュース 知っときまSHOW」(同年11月から「朝刊!記事からぼたもち」に改称)のナビゲーターとして出演してから、『上泉雄一のええなぁ!』の生放送へ臨んでいた。

2010年7月には、MBSの「地デジキャプテン」に任命。同社の番組やラジオCMを通じて、視聴者に地上デジタル放送切り替えへの準備を呼び掛けていた。また、同年8月31日~9月1日にラジオで放送された開局60周年記念番組『31.5時間(サイコー)ラジオ MBS史上最大のラジオ祭り』では、総合司会として31時間30分にのぼる生放送を取り仕切った。2011年にも、9月2日~3日に生放送の開局60周年記念番組『31.5時間ラジオ ラジオの力(ちから)!~対話が日本を元気にする!~』で総合司会を務めている。

2014年には、アナウンサーやラジオパーソナリティとしての活動を続けるかたわら、MBSテレビの教養バラエティ番組『~オトナ度ちょい増しTV~おとな会』に企画の段階から参画。10月22日の放送開始以降は、「おとな会主宰」という肩書で進行役も務めつつ、番組のPRにも携わっている。

入社から数年間は、スポーツ中継の実況やリポートも担当。テレビ・ラジオを通じて、プロ野球(阪神タイガース、大阪近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブの公式戦)、選抜高等学校野球大会、全国高等学校ラグビーフットボール大会、アメリカン・フットボール、プロボクシングなどの中継に出演していた。その縁で、スポーツ中継の担当から離れた現在でも、『せやねん!』でスポーツ関連の取材・中継リポートを担当することがある。

2006年6月には、2006 FIFAワールドカップのサッカー日本代表の観戦取材でドイツに滞在。日本代表の全試合(グループ Fの3試合)を観戦するとともに、FOMAを使って、『ちちんぷいぷい』向けに連日中継リポートを送っていた(後述)。

2007年には、4月から半年間、MBSラジオで『上泉雄一の日曜スポーツ宣言!』のパーソナリティを担当していた。さらに、8月下旬から9月上旬にかけて、当時MBSの野球解説者だった八木裕(元・阪神外野手、現在は二軍コーチとして同球団に復帰)とアメリカ合衆国の野球事情を幅広く取材。日本の元プロ野球選手(元・近鉄投手の岡本晃・矢野英司など)が在籍していた独立リーグのナシュア・プライドを訪れたほか、当時内野手としてコロラド・ロッキーズに所属していた松井稼頭央(現在は東北楽天ゴールデンイーグルス外野手)への単独インタビューなどを敢行した。帰国後の同年10月14日(日曜日)には、MBSテレビが、一連の取材の模様を『せやねん!』の特別番組として関西ローカルで放送している。

2008年の北京オリンピックでは、取材・中継リポーターとして、開会式前日(8月7日)から閉会式(同月25日)まで現地に滞在。男子・女子両マラソンでは、全国向けのラジオ実況中継において、中間地点のリポーターを務めた。マラソン実況での中継リポーターは、NHK・在京民放各局からジャパンコンソーシアム(JC)に参加していたスポーツアナウンサーが、他競技の中継との兼ね合いで不足したことによる起用であった。

全国ネット番組への出演機会は少ないが、2002年と2004年には、『おばちゃん1000万円!!』(司会:やしきたかじん、上沼恵美子)で進行役を担当。2007年放送の『家事場の女王様』(いずれもMBSテレビ制作・TBS系列全国ネットで放送された特別番組)では、スタジオからの実況を務めた。

『ちちんぷいぷい』にレギュラーで出演していた2003年には、同番組の企画で、他の主なレギュラー陣とともに『水戸黄門1000回記念スペシャル』(同年12月15日にTBS系列で放送)へ出演。2010年5月24日に同系列で放送の『月曜ゴールデン』「遺品整理人・谷崎藍子〜死者が遺したメッセージ〜」(MBS制作、高畑淳子主演)では、ドラマ内で流れるワイドショーのキャスター役として、後輩アナウンサーの河田直也・前田阿希子とともに出演した。

2007年8月23日にTBS系列で放送の音楽番組『うたばん』では、ゲストとして初めて出演したaikoに対するコメントで、角淳一とともにVTR出演した(上泉とaikoの関係については後述)。

2012年8月9日の「スパモク!!」で放送されたMBS・TBS共同制作の特別番組『王様のチョイス! 〜使える芸能人は誰だ!?〜』では、スタジオで実況を担当。同番組をベースに同年10月から毎週木曜日に放送されている『使える芸能人は誰だ!?プレッシャーバトル!!』(MBS単独制作・TBS系列全国ネットのレギュラー番組)についても、特別番組として放送される場合に、実況やナレーターを務めた時期があった。

1999年から2004年3月まで、金曜中継のリポーターを担当。2006年4月10日の放送で同番組へ復帰してから、1年間金曜日のパーソナリティ(総合司会)などを務めた。さらに、2008年の4月から半年間、隔週出演の形で金曜中継のリポーターに復帰した。同年10月以降も、出演番組や「MBSラジオ スペシャルウィーク」(聴取率調査週間に設定されるリスナー感謝週間)のPRを兼ねて、ゲストやリポーターとして不定期で出演している。

同番組の金曜中継では、2000年頃から、近畿地方各地の滝を目指して山登りに挑戦。「山登り中継」シリーズとして番組の名物になる。

山登り中継は2004年以降、対象を近畿地方以外にも拡大。上泉が同番組にレギュラーで出演しなかった時期にも、オーサカキングなどと連動したシリーズや、上泉が担当する新番組の成功祈願企画などの形で続けられた。この中継でのリポートを評価された上泉は、2001年度のアノンシスト賞でテレビ「フリートーク」部門の優秀賞を受賞。2004年度には、禅林寺 (京都市)からの生中継(2003年11月7日放送分)で最優秀賞を授与された。 レギュラーではなかった2007年には、オーサカキング期間中に放送された『ちちんぷいぷい夏休み 西から南からアツアツオーサカキングSP』で、西日本各地からの名瀑中継を担当。8月1日放送の犬飼の滝(鹿児島県霧島市)からの生中継が評価されて、2008年度のアノンシスト賞でグランダ・プレミオ(大賞)を受賞した。

MBSテレビ発で2009年4月から1年間放送された全国ネット番組『バンバンバン』では、この中継のノウハウを継承。開始当初は、上泉が過去に訪れた滝を中継地に選んでいた。ただし上泉は、同番組の放送1時間半前まで『上泉雄一のええなぁ!』の生放送を担当しているため、事前番組『祝!バンバンバン来週開幕 こんな中継してきましたSP』(2009年3月27日、MBSテレビ発TBS系列11社ネット、14:00~14:55に生放送)以外出演していない。

上泉は、山登り中継がシリーズとして放送され始めた頃から、中継に備えてスポーツジムで体力の増強に励んできた。『上泉雄一のええなぁ!』の開始を機に、『ちちんぷいぷい』の中継担当を退いたものの、現在でも毎日放送のテレビ・ラジオ番組で実況を披露することがある。

毎日放送本社屋(M館)の北隣に完成した新館(B館)が本格的に運用を開始した2014年4月4日には、『ちちんぷいぷい』がベースの特別番組『茶屋町 春の4まつり』で、ヘリコプターからの空撮による生中継の実況を担当した。『ちちんぷいぷい』の中継担当を退いてから、テレビの生放送番組で実況を披露したのは、この番組が初めてである。

2011年からは、毎年10月(または11月)の最終日曜日に開催される大阪マラソンへ毎日放送代表で参加。フルマラソンを走りながら、テレビ・ラジオ・インターネット中継に向けて沿道の模様を実況している。その一方で、大会翌日の月曜日には、レギュラーの生放送番組へ通常どおり出演している。

人生初のフルマラソンであった第1回大会(2011年10月30日開催)では、『日曜出勤生ラジオ』(MBSラジオ)向けに随時実況しながら、4時間30分13秒で完走した。

2012年の第2回大会(同年11月25日開催)では、「上泉雄一の42.195kmつぶやきマラソン」という企画で、フルマラソンを走りながら35km地点付近まで実況。MBSラジオでは、公式サイト内の特設ページを通じてその音声をリアルタイムで配信したほか、『日曜出勤生ラジオ』でも一部を放送した。さらに、上記の中継を終えてからも、MBSテレビで放送の特別番組『eo光スポーツスペシャル 大阪マラソン2012』でトミーズ雅に密着しながら実況を継続。4時間56分01秒というタイムで、2年連続の完走を果たした。

2013年の第3回大会には、『せやねん!』のレギュラー出演者から唯一参加。フルマラソン中に『日曜出勤生ラジオ』向けの実況や、小型カメラによるUstream向けの動画中継を実施した関係で、放送・配信用機材の入ったリュックサックを背負いながら5時間6分35秒で3年連続の完走を果たした。

2014年の第4回大会以降は、MBSテレビの制作で午前中に放送される生中継番組向けの「ランニングリポーター」として、「同時インタビューRUN」(並走する著名人・市民ランナーへ随時マイクを向けながら自身も完走を目指す企画)を成功させている。

1997年10月~99年9月に放送された深夜番組『ヤンタン MUSIC MAX』で、aikoとともに火曜日のパーソナリティを務めた。aikoは、当番組の放送終了後も、アルバムの発売時などに上泉の出演番組へメッセージを寄せている。2009年3月8日の『MBSサンデースペシャル』で放送された特別番組『MUSIC EDGE aikoスペシャル』では、久々に上泉とのスタジオ共演を果たした。『31.5時間ラジオ ラジオの力(ちから)!~対話が日本を元気にする!~』(前述)でも、一部のパートにおいて、『ヤンタン MUSIC MAX』終了以来12年振りに生放送でaikoと対談している。

2006年のナイターオフシーズンには、テレビ・ラジオを通じて、入社以来初めての冠番組『上泉雄一の発信!UWAらじお』を担当した。2007年のナイターオフシーズンは、『MBSどっと!アナ』の火・金曜日として、『上泉雄一のUWAらじお シーズン2』を担当。当番組までは、『ヤンタン MUSIC MAX』にも参加していたバーバラよねが、ディレクターや金曜日のコーナー進行などを務めた。2008年のナイターオフシーズンは、『上泉雄一のFANFANレディオ』で、ワンマンDJスタイルによる生放送に初めて挑戦。同番組では、同期入社の新堂がプロデューサーを務めた。

2009年4月からは、『上泉雄一のFANFANレディオ』を引き継ぐ形で、新堂とともに『上泉雄一のええなぁ!』を担当。入社してから初めて、平日午前の帯番組でメインパーソナリティを務めている。ちなみに、『上泉雄一のええなぁ!』は、放送1年目の2009年度に第47回ギャラクシー賞のラジオ部門で優秀賞を受けている。2009年度のナイターオフシーズンには、『上泉雄一のええなぁ!』と並行して、金曜日のみ『FANFANレディオ』の後番組『MBSたびぐみ とっておき旅ラジオ』(以下『たびぐみ』)でも後輩アナウンサー・金山泉とともにパーソナリティを担当していた。2010年度にも、同様のパターンで、『MBS開局60周年アワー 音楽の時間ですょ 目指せ1179曲てアンタ!?』(火曜日のみ放送)のパーソナリティを担当。5シーズン連続で、平日夜間のナイターオフ限定番組へのレギュラー出演を果たした。2011年度にも、月に1回のペースで、『たびぐみ』土曜日に出演している。

2012年7月27日(金曜日)には、『子守康範 朝からてんコモリ!』(平日早朝の3時間生ワイド番組)のメインパーソナリティ・子守康範(元MBSアナウンサー、上泉の若手時代の上司)が体調不良で同番組を休んだため、急遽全編に出演。さらに、同番組の終了2時間半後からは、本来の担当番組『上泉雄一のええなぁ!』へ出演。午前中だけで、両番組合わせて5時間の生放送を取り仕切った。

2009年8月から2010年9月までは、AMラジオ災害問題協議会の統一防災キャンペーンに、MBS代表で参加(野村啓司の後任)。関西のAMラジオ全局(NHK第1放送を含む)で放送されるキャンペーンCMや、NHK第1放送制作の特別番組(後述)に登場していた。また、唐渡吉則がレギュラー番組を休む場合に、代役でパーソナリティや進行役を務めることが多い。

2014年4月4日には、『茶屋町 春の4まつり』でのヘリコプター実況(前述)を担当する前に、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』で毎日放送「B館」グランドオープン(午前11時7分9秒)の瞬間を伝えた。

アナウンサーを志したのは、小学校5年生の頃から。道上洋三(ABCアナウンサー)に憧れていた。

早稲田大学時代には、スポーツアナウンサーを志しながら、学内のアナウンス研究会で活動していた。同会での直接の後輩に、土井敏之や初田啓介(現在はいずれもTBSのスポーツアナウンサー)などがいる。

『ちちんぷいぷい秋のフェスティバル』(前述)で、同番組の山登り中継で訪れた滝のスチール写真が展示された。

大の読書家で、戦国時代を中心に、日本の歴史に関する知識・物語・小説を出演番組で披露。2011年7月11日深夜(12日未明)にMBSテレビで放送された『MUSIC EDGE + Osaka Style』には、読書好きであるゲストのJUJUをMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店(毎日放送の本社に隣接)に案内すべく、同店の店員役で特別に出演していた。

近年では、新作映画の試写会で司会を務めたり、映画へ出演したりすることが多い。2005年には、アニメ映画「あらしのよるに」(MBSが製作出資)に、声優として1シーンのみ出演。2006年には、MBSが製作出資した「日本沈没」(2006年版)で、初めて実写映画に出演した。2009年には、安土城の築城をテーマにした時代劇映画「火天の城」(東映配給)にも出演。1シーンだけの登場ながら、西田敏行や笹野高史との共演を果たした。また、その関係で、期間限定ながら滋賀県安土町(現在の近江八幡市)から安土城観光大使に任命された(任期は同年7月27日から、同作品の劇場公開が終了した10月16日まで)。

2011年3月18日(金曜日)には、MBSラジオでレギュラー番組『上泉雄一のええなぁ!』『MBSたびぐみ とっておき旅ラジオ』に出演後、自身の名を冠した生放送の特別番組『上泉雄一プレゼンツ 映画音楽2時間特集』(東北地方太平洋沖地震の発生に伴う『笑い飯の金曜お楽しみアワー』の代替番組)でもパーソナリティを務めた。その一方で、同年には、香港映画「1911」の日本語版で軍人・新聞記者役の声の吹き替えを担当した。

先輩アナウンサーの来栖正之とは、自宅が近所で仲も良い。また、森武史(読売テレビ)や三代澤康司(朝日放送)など、在阪民放他局に勤務する同年代のアナウンサーとも盛んに交流。森は、『上泉雄一のええなぁ!』でゲストや上泉のパートナーとして出演したことがある。フリーアナウンサーの山本浩之も、関西テレビのアナウンサー時代から、上泉がパーソナリティを務めるラジオ番組(『上泉雄一のええなぁ!』など)にスペシャルゲストとして不定期で登場している。

2012年12月26日(水曜日)の『上泉雄一のええなぁ!』放送終了後には、なんばグランド花月での舞台公演「吉本百年物語 日本全国テレビで遊ぼ!」に出演。1シーンへのゲスト出演ながら、舞台公演デビューを果たした。

2014年10月11日放送の『メレンゲの気持ち』(日本テレビ制作、毎日放送のサービスエリアである関西地方では未放送)では、上泉による映像を放送。ゲストで出演していた元・TBSアナウンサーの吉川美代子(フリーアナウンサー)が、「(自身が)『一番』と認めるアナウンサー」として上泉の名を挙げた。また、毎日放送の系列局・中部日本放送の石井亮次アナウンサー(大阪府出身)からは、「(JNNの加盟局に所属するアナウンサーの中では)東の安住・西の上泉(と呼べるほど話術に長けている)」という賛辞を送られている。

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