上坂太一郎の出身高校
上坂太一郎 プロ野球選手
- 上坂太一郎卒業高校
- 栄高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 716位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1977年4月14日生まれ
上坂 太一郎(かみさか たいちろう、1977年4月14日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
享栄高では主将で夏の甲子園に出場。
社会人野球の王子製紙春日井では5番打者として活躍し、都市対抗出場。1999年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。当時は外野手としての登録で、スポーツ紙に「曽我部二世」と評された。
1年目の2000年9月13日の対巨人戦に1番・レフトでスタメン出場し、プロ初安打を含む猛打賞、さらには二盗・三盗を連続で決めデビューを飾った。特に連続盗塁については、当時の野村克也監督が「阪神に来て、初めて野球をした気分だ」というコメントを残している。この日の相手先発がダレル・メイだったため、以後メイや左投手が先発のときは坪井智哉を外して上坂をスタメンで起用する光景がしばしば見られた。秋季キャンプでは和田豊の後釜に据えられ、セカンドの練習及びスイッチヒッター挑戦に励んだ。
2年目の2001年にはF1セブンの一員として89試合に出場。怪我で戦列離脱した時期もあったがセカンドのレギュラーを張り、濱中治・赤星憲広と3人で平成の新少年隊と呼ばれた。同年6月29日の対ヤクルト戦で、石井弘寿からこの日が66歳の誕生日だった野村監督を祝うプロ初のサヨナラ本塁打を放った。また、同年7月17日の対巨人戦では條辺剛から自身2度目のサヨナラヒットを放ち、球団史上初となる対巨人戦3試合連続サヨナラ勝ちの立役者となった。左投手を得意としており、この年の本塁打6本のうち5本が左投手から放ったものである。オフに結婚式を挙げたが、同日同じホテルで阪神首脳と監督就任の交渉をしていた星野仙一が式に乱入して、急遽スピーチを行った。しかし、その内容は「レギュラーの確約はない」というものだった。後日阪神監督となった星野は上坂をカミタロウと呼んでいた。
翌2002年、オープン戦で田淵幸一コーチは当初2番に上坂を予定していたが、星野監督の「今岡を使ってみな」という指示に従いセカンドに今岡誠を起用したところ固め打ちをし、そのまま二塁に定着。以後、上坂にスタメンのチャンスはなかった。それ以降も再三のチャンスを生かしきれず、次第に一軍から縁遠くなっていった。俊足かつパンチ力のある選手でありながら「もの凄いファインプレーをしたかと思うと信じられないチョンボをやらかすのでベンチとしては非常に使いにくい(広澤克実評)」ため、守備・走塁のスペシャリストとして一軍に残る道もなかった。
2003年は野球では特に目立つ活躍は無かった一方、6月9日に兵庫県西宮市内で自動車を運転する際に制限速度を 83km/h オーバーする 123km/h で走行。それをオービスで撮影された。さらに7月18日にも 58km/h オーバーの 98km/h で走行しているところをオービスに撮影された。警察からの再三の出頭要請に気づかず結果的に無視した形となり、球団にも報告していなかったことが判明し問題となった。上坂本人は「前後してもらい事故として追突されたことの手続き書類と勘違いして確認を怠った」と釈明していた。翌2004年5月21日、懲役6カ月、執行猶予2年の有罪判決を受け、球団からは出場停止と罰金100万円の制裁を受けた。このシーズンは17試合の出場にとどまったが、オフの契約更改の場では300万円減となる年俸1,700万円の提示を「事件と野球は別」として保留した。
最後の一軍出場となった2006年7月2日の対巨人戦で、8番・サードでスタメン出場するも2打数無安打、2失策と振るわず、「上坂に(最後の)チャンスをやりたかった」という岡田彰布監督の起用に応えることが出来ずに終わった。翌2007年10月27日に戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトを受験するも獲得に乗り出す球団はなく、現役続行を断念。
その後は神戸市で飲食店経営に乗り出し「もつ鍋『かみ坂』」(現・「居酒屋 か虎屋」)をプロデュース、並行してプロゴルファーを目指し活動を始めた。2011年のJGTO・クオリファイトーナメントでは、2次予選で敗退(7オーバー・57位)。2012年4月16日つるやオープンマンデートーナメントに参戦しプロデビューを果たすも、本選出場はならなかった。
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