メッセンジャー黒田の出身高校

メッセンジャー黒田 お笑い芸人

メッセンジャー黒田卒業高校
布施北高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
お笑い芸人ランキング
396位 / 407人中 お笑い芸人別偏差値ランキング
生年月日
1970年1月29日生まれ
血液型
A型

メッセンジャー黒田(メッセンジャーくろだ、1970年1月29日 - )は日本のお笑いタレント。お笑いコンビメッセンジャーのボケ担当。相方はメッセンジャーあいはら(あいはら雅一)。本名は黒田 有(くろだ たもつ)。

大阪府東大阪市出身。黒田は男4人兄弟の末っ子。母親が39歳のときに生を受ける。小さいころに両親が離婚。父親は離婚後も近所に住んでいた。黒田の母親は一人で子供4人を育てた。

幼い頃にいも類やカボチャを散々食べさせられたため、今ではそれらをあまり食べなくなった。幼少のころ家で寝ていたら、家の中に食べるものが全く無くて腹を空かせたネズミに左耳をかじられてしまった。そのために左耳たぶが欠けている。これに関して黒田本人は「だから自分はリアルドラえもんだ」と言い張っている。子供のころは超合金の写ったチラシを枝に付けて「超合金ごっこ」で遊んでいた。大人になった今では、子供のころに出来なかった分、超合金の収集を趣味としている。黒田の家は6畳と4畳半の二間。端にあるトイレは夏になるとアンモニア臭がひどく、用を足していた母が倒れることがあった。そのため、黒田にとっての贅沢は「トイレがゆっくりできる」事である(『アメトーーク』より)。小学校低学年のころ絵画教室に通っていたが月謝を滞納していた。そのせいで絵画の先生に差別的に扱われていたことが未だにトラウマとして残っている。

修学旅行の旅費が払えなかったため、当初は旅行に行く予定はなかったのだが、クラスメイトによるカンパのおかげで修学旅行に行けることとなった。黒田はこの旅行をクラスメイトへの感謝も相俟って心の底から楽しんだ。1988年、大阪府立布施北高等学校卒業。

高校卒業後、板前の修業をして板前になる。大阪NSC10期生となる。1991年にメッセンジャーを結成。同期にはジャリズムなどがいる。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2007年9月までは吉本興業)所属。2002年にふぐ調理師の免許を取得する。料理が得意である。デビューして間もないころ『たかじんnoばぁ〜』に出演しゲストの歌手にツッコミで頭叩いたりしたのが気に入られ、お世話になる。2005年10月、日本テレビ『バリオク!』の司会を務め、初の東京レギュラー進出をする (2006年3月27日終了)。2005年10月20日、自宅が空き巣の被害に遭うが、貯金箱がアダルトビデオの山に隠れていたためビール券のみの被害で済んだ。しかし、スポーツ新聞の報道で「黒田、空き巣」(横に小さく「被害」)と掲載されたことから貧乏キャラと相まってファンや芸人仲間から「黒田が空き巣に入った」と(ほとんど冗談である)勘違いされた。12月公開のアニメ映画『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』で声の出演をした。2006年4月、ワッハ上方における舞台『ROPE』で主演をした。NHKでのドラマ出演もあり、最近は俳優志向もある。8月5日放送の『たかじん胸いっぱい』で、「関西テレビの日曜お昼の枠で司会をやらせるなら誰?」のランキングで第1位を獲得。11月下旬ごろから左目にウィルス性の結膜炎を発症し、その影響で左目だけ二重まぶたになった。

2007年1月12日、自身が脚本・主演を務めたテレビドラマ『誰がパパやねん!』(NHK)が放送された。制作費は300万円 (放送は近畿ブロックのみ)。移動はもっぱら自転車や電車であったが、7月にようやく運転免許証(AT限定)を取得。免許を取得した記念に制作された特別番組では練習と称して、たむらけんじのメルセデス・ベンツ Mクラス、ブラックマヨネーズ小杉のBMW・3シリーズなどを勝手気ままに(私有地で)乗り回した。W204型メルセデス・ベンツ Cクラス300アヴァンギャルドSを購入し、藤崎奈々子や坂田利夫とドライブする様子も放送された。8月15日、『なるトモ!』から派生した音楽ユニット「コバクロ」を結成。松本隆博(松本人志の実兄)作曲のデビュー曲『わくわくしない世代』が持ち歌である。9月東京にて・10月大阪にて、石井正則らとの舞台『味噌soup』を公演。2008年、NSCの同期であるザ・プラン9のお~い!久馬と劇団「元祖黒久1・1・1」を旗揚げ。6月に舞台『ふね』を公演。10月29日、「タモツ&マキ」として“貧乏な生い立ち”という共通点を持つ宇都宮まきとムード歌謡曲『今宵、なすびで。/プアー』をリリース。『プアー』の作詞を担当。12月、京橋花月のこけら落とし公演『かさ』を公演する。2009年4月、劇団「元祖黒久1・1・1」の第2回公演『はし』を公演する。原作は、山崎邦正著の『ヘラクレス』。5月12日発売のガガガSPのアルバム『金くれ!!愛くれ!!自由くれ!!』では『いちょうの葉』を作詞。8月、京橋花月の夜芝居『パパ』(原作:NHKドラマ『誰がパパやねん!』)を公演する。9月、ヨシモト∞ホール大阪にて山本浩之アナウンサーとのトークライブ『クロダ☆ヤマヒロのサミット☆ハジメマシタ』が開催される。

2009年12月26日、大阪市中央区宗右衛門町のガールズバー「Pure」で料金支払いを巡ってトラブルを起こし、店長に一方的に暴行を行い、眼底骨折による全治2ヶ月の重傷を負わせたとして傷害容疑で大阪府警南警察署に逮捕される。この不祥事を受けて芸能活動を自粛すると共に、レギュラー出演している番組も放送が中止される事態となった。所属事務所であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーは、事件発生時点では「事実関係を調査中」とのみコメントした。

同日、昼の生放送ラジオ番組『それゆけ!メッセンジャー』(MBSラジオ)の冒頭で共演者のメッセンジャーあいはらと六車奈々が謝罪した。黒田の代役としてシャンプーハットのてつじが出演した。昼の生放送テレビ番組『かんさい情報ネットten!』(読売テレビ)でもメッセンジャーあいはらが謝罪した。同日夕方に放送が予定されていたテレビ番組『ナンボDEなんぼ』(関西テレビ)の特別番組はドラマの再放送に差し替えられた。『ナンボDEなんぼ』は後に放送打ち切りとなった。同日夜の全国ネットの『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)の特別番組は編集が間に合わないという理由で収録日を示すテロップを表示した上でそのまま放送された。

2010年1月8日、大阪府警南署は店長のけがの程度について、ほおの骨折など約2か月の重傷とした当初の発表を、頭部打撲など2週間のけがと訂正した。12日、大阪地方検察庁は被害者と示談が成立したことで、黒田を起訴猶予処分とし釈放。同日20時より吉本興業本社にて記者会見を開き、経緯を説明した。レギュラー出演している『ごきげん!ブランニュ』はこの日の放送(この年最初の放送予定であった)は休止され、別番組が放送された。

留置場では「42番」と呼ばれていた。 謹慎中はペン字を習ったりDVDの鑑賞、愛犬の世話などで時間を過ごした。

2010年4月4日から京橋花月の舞台で復帰。自虐ネタを披露した。17日、復帰後初のレギュラーラジオ番組として『それゆけ!メッセンジャー』に復帰。12月、『漫才トラディショナル』(毎日放送)および『漫才マン』(関西テレビ)で新作漫才を披露するなどテレビ復帰。大みそかには全国ネット番組『今年も生だよ!新春6時間笑いっぱなし伝説〜2011年最も売れる吉本No.1芸人は誰だ!?~〜』のネタコーナーに出演。ただし、レギュラー出演していた『ごきげん!ブランニュ』には復帰しておらず、漫才番組以外のテレビ番組にも出演していなかった。

2012年10月、5年ぶりとなる単独ライブ『漫才事変〜ニューウルトラスーパーダイナマイトネオメッセンジャー〜』をABCホールと浅草花月で開催。12月22日に放送された『メッセンジャー&なるみの大阪ワイドショー』(MBSテレビ)で久々にバラエティ番組に出演。同番組では山崎邦正と東京スカイツリーロケ、あいはらと関西在住の美魔女を訪問するロケ、月亭八光・トミーズ健と韓国に生レバーを食べに行く日帰り弾丸ツアーを行った。

2013年1月11日、生放送番組『プリプリ』(MBSテレビ)にゲストで登場。3年ぶりに生放送番組に出演した。5月27日には『ごきげん!ブランニュ』の裏番組である『痛快!明石家電視台』(MBSテレビ)にゲストで登場した。6月22日には、復帰後初のレギュラーテレビ番組として『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)に出演した。

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