黒川清の出身高校
黒川清 学者
- 黒川清卒業高校
- 成蹊高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
- 学者ランキング
- 375位 / 1027人中 学者別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1936年 - )は、日生まれ
黒川 清(くろかわ きよし、1936年 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・医療政策・科学政策)。勲等は旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1967年)。内閣官房健康・医療戦略室健康・医療戦略参与、東京大学名誉教授、政策研究大学院大学アカデミックフェロー、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事。認定特定非営利活動法人Teach For Japan理事。一般社団法人HLAB理事。医療法人社団松和会理事長
東海大学医学部学部長(第3代)、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長(第22・23代)、内閣特別顧問などを歴任した。
1955年に成蹊高等学校を卒業し、1962年に東京大学医学部を卒業した。東京大学医学部附属病院でのインターンを経て、同大の大学院医学系研究科より博士号を取得し、アメリカ合衆国に渡った。
当初はペンシルベニア大学の医学部にて助手を務めたが、その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の医学部に移り、上級研究員や助教授を務めた。南カリフォルニア大学の医学部にて準教授を一時務めたのち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に再び戻り医学部の準教授や教授を歴任した。
日本に帰国後は、母校の東京大学に戻り、医学部の助教授や教授を務めた。のちに東海大学に教授として転じ、医学部の学部長や総合医学研究所の所長を務めた。その後、政策研究大学院大学に移り、政策研究科の教授となった。
学会などの公的活動としては、日本内科学会、日本腎臓学会、国際腎臓学会の理事長や国際内科学会議の会長といったさまざまな要職を歴任し、日本学術会議にて第19期の会長に任じられ、第20期の半ばまで務めた。また、第1次安倍内閣成立にともない、内閣総理大臣の安倍晋三に要請され、内閣官房にて内閣特別顧問に就任した。日本で科学を担当する内閣特別顧問に就いたのは、黒川が初めてである。福田康夫内閣成立に際しても、内閣総理大臣の福田康夫の要請を受け内閣特別顧問を続投し、第34回主要国首脳会議にあわせて日本で開催されたG8+5科学顧問会合にも参加した。しかし、麻生内閣の成立時に内閣特別顧問を退任した。2011年、国会が設けた東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長に任命された。2013年には、内閣官房の健康・医療戦略室にて健康・医療戦略参与に就任した。
現在は政策研究大学院大学のアカデミックフェローを務めている。また、特定非営利活動法人である日本医療政策機構の代表理事も務めている。
専門は内科学、腎臓学、医療政策、科学政策などであり、その業績に対して腎研究会特別功労賞が授与されている。また、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会での活動に対して、アメリカ科学振興協会からアジア出身者として初めて科学の自由と責任賞を授与された。そのほか、東京アメリカンクラブから「Distinguished Achievement Award」を授与されている。
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