高野人母美の出身高校
高野人母美 モデル
- 高野人母美卒業高校
- 立志舎高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
- モデルランキング
- 76位 / 76人中 モデル別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1987年6月12日生まれ
高野 人母美(たかの ともみ、1987年6月12日 - )は、日本の女子プロボクサー、モデル、タレント。モデル活動時の芸名はTOMOMI。東京都墨田区両国出身、港区在住。芸能事務所は株式会社オフィスコットン所属。ボクサーとしては協栄ボクシングジム所属。第2代OPBF東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者。
5歳から9年間水泳、小学校6年間はサッカーを行う。中学3年からはキックボクシングを始めるが、あくまで趣味のため試合経験はなかった。
立志舎高等学校在学中に竹下通りでスカウトされ、グラビア活動を開始、同校卒業後にモデルデビューし、海外のファッションショーにも参加。当初はアベニューワン所属、芸名は高野ともみだった。
2009年には「第4回アジアスーパーモデルコンテスト」に須川春輝(現:春輝、モデルガールズ)とともに日本代表として参加、6位入賞。
2010年、オフィスコットンに移籍、芸名もTOMOMIに改名。同年からはアマチュアボクシングを始める。
2011年6月、世界4大ミス・コンテストの一つである「ミス・アース」日本代表ファイナリスト23人の一人に選出。
2012年9月、「うそつきや泥棒が大嫌い」と警察官の採用試験を受験するも不合格だった。
2013年1月、日本ボクシングコミッション(JBC)C級ボクサーライセンスを取得。プロボクサーデビューを果たし、モデルと並行して試合に出場している。
2013年5月、「ミス・ツーリズム・インターナショナル」日本代表として中国入りして、「ミスチャーム」を受賞。
2013年10月よりTBS「大久保じゃあナイト」へのレギュラー出演が決定。
2014年3月1日、東京ガールズコレクションへの出演が決定。
2014年8月4日発売「週刊現代」袋とじでセミヌードグラビアを披露。
女優としても2015年公開の映画で銀幕デビューが明らかになっている。
2015年5月11日、元プロレスラー小橋建太とともに尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の講師に就任し、6月より2016年3月まで月1回の割合で教壇に立つことが発表された。
友人の誘いで天笠尚の試合を観戦したのがきっかけとなり、2010年3月から天笠が所属する山上ボクシングスポーツジムに通いボクシングに転向。「そのリーチの長さとスタイルがあれば世界で通用するよ」と周囲の薦めもあり、さらに南海キャンディーズの「しずちゃん」こと山崎静代にも刺激され、ロンドンオリンピックを目指しオリンピックに2度出場した三浦国宏より指導を受けた。
2010年10月、全日本女子選手権予選を兼ねた都大会に出場するが、1回戦後バンデージミスで失格となり敗退(試合自体もRSC負け)。
2011年12月の全日本女子選手権予選は発熱のため欠場。ロンドンオリンピックへの道を絶たれ一度ボクシングを諦めたが、そこで会長からプロを勧められたため、「負けて泣くんだったら、勝って笑おう」と目標をプロボクサーへ転換する。
2012年11月、最初のプロテストは筆記こそ96点だったものの実技は評価されず不合格とされ、テスト後に一度会長にボクシングをやめると伝えた。
2013年1月、弟と行ったタイ旅行でムエタイジムに練習をさせてもらい、帰国後の再受験を決意。1月30日、2度目のプロテスト受験で合格を果たす。プロテストでは最初の相手をKOして、急遽前WBA王者天海ツナミが相手を務めた。
角海老宝石ボクシングジムにも出稽古しており、その縁で角海老主催興行のラウンドガールも務めている。
2013年4月6日、在日米軍キャンプ座間での興行(メインはチャーリー太田の東洋太平洋王座防衛戦)において最初に落ちたプロテストの時の相手だった大空ヒカル(アルファ)戦でプロデビュー。階級はスーパーフライ級。ストレート、フックの連打を繰り出しわずか32秒でKO勝利してデビューを飾った。この試合は「アスリート☆ジャポンUstreamチャンネル」にて太田のタイトル戦とともに生配信された。KO勝利に浮かれ食べ過ぎたため、一時体重は60kgまで増えてしまった。
5月19日の「ボクシングの日」イベントのトークショーに井上尚弥(大橋)らとともに参加。
第2戦は7月25日、初の後楽園ホールでの試合として角海老主催におけるセミとして翌年に竹中佳(高砂)と東洋太平洋ライトフライ級王座を争うヨッカオ・ローエイシティジム( タイ)と対戦(メインは藤本京太郎 vs オケロ・ピーターの日本ヘビー級王座決定戦)。KO賞100万円もかけられた一戦は、13戦のキャリアを持つ相手に対して1回は重圧をかけて連打を繰り出したが、セミで戦う緊張から手数が減り消化不良となり左ジャブ中心の攻撃に終始して4回終了、3-0(40-36×2, 39-37)の判定で連勝こそ飾ったが、試合後にファンから容赦ない野次も飛んだ。この試合は26日深夜にTBSテレビ「ガッツファイティング」で藤本のタイトル戦、土屋修平 vs 中谷正義のノンタイトルとともに地上波放映された。
ヨッカオ(右)にロングアッパーを放つ高野
ヨッカオに判定勝利した高野
第3戦は9月30日に後楽園でのセミとしてこの試合がプロデビュー戦となるジプリン・デリーマ( フィリピン)を迎え撃つ(メインはジェフリー・アリエンザ vs 伊藤雅雪のWBCユース世界ライト級王座決定戦)[49]。25cmの身長差がある相手に対してジャブとストレートで攻め立て、相手が横を向いたところをレフェリーが戦意喪失とみなし、前の試合の鬱憤を晴らす1回43秒レフェリーストップTKOで、プロ転向後3連勝[50][51][52]。TKOを告げるゴングが響いても何があったかわからず、会長に真顔で聞いて初めて勝利を知った[52]。試合翌日には「大久保じゃあナイト」のロケに挑んだ。
11月7日、協栄ボクシングジムへ移籍[53]。金平桂一郎会長は「女子ボクシングがパワーで男子に劣るのは明白。それを乗り越えるにはキャラクターが必要になる」とする一方、美貌だけでなく恵まれた体型と秘めたパンチ力にも目を付け山上ジムに移籍を申し出、「世界王者12人を育てた協栄のノウハウでジム初の女子世界王者にし、女子ボクシングのけん引役を担いたい」とコメントした[54](同ジムでは過去に藤本りえ(現在はオートレーサー藤本梨恵)が女子世界王座挑戦経験を有すが奪取に至った選手はまだいない)。
11月20日の佐藤洋太引退記念興行にて一三三摩利那(角海老宝石)とエキシビションを行う[55][54]。12月中旬までは勇利アルバチャコフを始めとする世界チャンピオン4人を育てたアレクサンドル・ジミンの指導を受ける[56]。ジムでは男子とのスパーリングを100回敢行した[57][58]。
移籍初戦は12月31日、大田区総合体育館におけるダブル世界戦(WBAスーパーフェザー級・内山高志 vs 金子大樹、WBC同級・三浦隆司 vs ダンテ・ハルドン)アンダーカードとして大石久美(ワタナベ)と対戦する[59][60]。試合は1回からカウンターの右ストレートをヒットさせ、2回には「試合では初めて」だったという相手のパンチを顔面に受け鼻血を出すも攻撃の手を緩めず、連打が決まり相手がふらついたところで1分25秒レフェリーストップTKO勝利[61][62]。この勝利でB級(6回戦)昇格。
2014年2月21日、金子ジム興行(メインは同門白石豊土の再起戦)でエキシビション[63]。それまでエキシビションでは軽く流していたのを一変させ、デビュー前の選手をKO寸前まで追い込んだ[64]。
3月24日、「第386回ガッツファイティング」(メインは元同門・天笠尚の東洋太平洋フェザー級王座防衛戦)にて初の6回戦として、アマチュア戦績40戦28勝12敗・プロ5勝2敗のクラーブカーオ・ポー・プリーチャー( タイ)と対戦[65][66][63]。1回に右で2度のダウンを奪うと、2回には右ストレートからの左ボディで3度目のダウンでKOとしプロ5連勝[67][68]。ファイトマネーは男子日本王者クラスの100万円前後と設定されたが、試合内容が悪ければ受け取らない覚悟で挑む[69][70]。試合後「3万円でいいです」と申し出たものの、金平会長は期待を込めて60万は出すとコメントした[71]。
6月24日に東洋太平洋スーパーフライ級1位のカイ・ジョンソン(T&H)と対戦すると4月30日に行われたアンダーアーマーCM発表会の席で明らかにした[72][73][74][75]。試合は3回に左フックでダウンを奪うも巻き返され、5回にショートパンチの連打を浴びレフェリーストップTKOでプロ初黒星を喫した[76][77][78]。
10月15日、ドークマイパ・ソーデイントン(タイ)を相手に再起戦[79][80]。引退を懸けて挑んだ試合は3回から手数が増え、4回に相手をコーナーに追い込み、左右の連打でレフェリーストップTKOで再起を果たした[81][82]。
12月31日、大阪・ボディメーカーコロシアムにて1階級上のバンタム級でラッサダ・ソーウォラシン(タイ)と対戦(メインはギレルモ・リゴンドウ vs 天笠尚、高山勝成 vs 大平剛のダブル世界戦)[83][84]。右ストレート、右アッパーで試合を支配し、3-0(59-55、60-55、60-54)の判定で連勝[85]。
2015年6月10日、後楽園ホールにてOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座決定戦に1位として2位のノーンブア・ルークプライアリー(タイ)と対戦する[86]。当初はカーリンス・リバス(フィリピン)と対戦する予定だった[87][88][89]、が変更された。試合は相手にバッティングの減点もあり3-0(80-71×3)のフルマークで勝利し、プロ9戦目で初タイトルを獲得した[90]。この興行は坂田健史代表就任後初の協栄主催興行として行われ、高野は新体制初のタイトル獲得者となった。
11月11日、後楽園ホールにてWBO女子世界スーパーフライ級王者、ダニエラ・ベルムデス(アルゼンチン)に挑戦[91]。CS放送「TBSチャンネル」での生中継もされた[92]この試合は、1回より王者から圧力をかけられ、4回に連打を浴び腰から落ちてダウンを喫するとタオルを投げられ、世界初挑戦はKO負けに終わった[93]。
山上時代は前かがみ気味なクラウチングスタイルだったが、協栄移籍後は佐藤洋太のチーフトレーナーだった新井史朗により重心を後ろに移し、長身を活かして懐の深さを活用するアップライトに改造している[54][55]。新井は「リーチは武器。同じスーパーフライなのに、佐藤よりも長い。落ち下ろしのストレートも威力がある」と評した[94]。
好きなボクサーとして自身がボクシングを始めるきっかけとなった天笠尚、井岡一翔、井上尚弥を挙げ、3人のいいとこどりを理想に掲げている[95]。
モデルとボクサーの二足のわらじであるが、「顔がぐちゃぐちゃになるより負ける方がつらい」と顔をまったく気にせず、整形の覚悟も辞さないという[95][96]。プロ初黒星を喫した試合を東京スポーツは「顔面崩壊」の見出しで鼻が曲がった痛々しい写真つきで報じたが[78]、高野本人はその写真を何度も見返して再起へのモチベーションに変え、「(写真を)額に飾りたいくらい」「感謝しています」と語り、関係者も「写真を見た人は『ちゃんとボクシングをやっている』と思う」とコメントした[97]。試合のみならずスパーリングで青あざを作ることもある[98]。
前所属の山上哲也会長はボクサーへの専念を打診したが、「ブランクを作ってしまうと辛いことを知っていますから」と拒否[99]。また、現所属の金平桂一郎会長は初黒星後に練習時間確保のため、高野の事務所のマネージャーに芸能活動を調整するよう要請し、高野サイドも前向きだったが[100]、結局は次々と仕事が舞い込み、制限が難しい状況となっている。一方で、顔面に数千万円の保険を検討している[96]。
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