高谷裕亮の出身高校
高谷裕亮 プロ野球選手
- 高谷裕亮卒業高校
- 栃木県立小山北桜高校 偏差値 栃木県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 4288位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1981年11月13日生まれ
髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(捕手)。
小山市立大谷東小学校では2年生時に1歳上の兄とともに雨ケ谷学童に所属して軟式野球を始め、三塁手だった。小山市立大谷中学校でも軟式野球部に所属し三塁を守った。
小山北桜高校へ進学すると強肩を買われて捕手に転向した。投手だった兄と兄弟バッテリーを組んだ。甲子園への出場はなかったが、2年春に同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなどチームを牽引した。
高校卒後はプロ野球選手を目指して富士重工業に進んだ。1年目は原因不明の左膝痛に悩まされ、後に腰痛も併発し、公式戦に1試合も出場しないまま2年目の12月に退社した。目標を失い、造園業を営む実家を受け継ぐことも考えたが、野球への情熱を捨てられず1年間の浪人を経て22歳の時に一般試験で地元の白鴎大学に合格した。
白鴎大学の1年目は規定により1年間公式戦へ出場できなかったが、2年春から主将を務め、3年時には全日本大学野球選手権大会に出場した。3年間で関甲新リーグ新記録となる16本塁打、82打点を記録、ベストナインも4度受賞するなどリーグ屈指の選手に成長した。
11月21日の2006年の大学生・社会人ドラフトで3巡指名を受け福岡ソフトバンクホークスへ入団した。背番号は12に決まった。
二軍で関西遠征中だったが、一軍で右手首を痛めた大野隆治に代わり急遽昇格が決定し、4月12日に初めて一軍出場選手登録され、4月17日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で5回から代打でプロ初出場し、初打席は永井怜の前にショートライナーに倒れた。7回にはホセ・フェルナンデスの二盗を刺し、8回第2打席には四球から出塁し、永井の暴投の間に三塁まで進塁、本多雄一のタイムリーヒットで生還してプロ初得点も記録した。4月19日に二軍へ降格し、6月5日に一軍へ昇格した。6月23日の対中日ドラゴンズ戦で5回に代打で起用され、川上憲伸の3球目を叩きつけ二塁への内野安打でプロ初安打を記録した。翌6月24日の同カードで8番捕手としてプロ初の先発出場を果たした。6回3打席目無死二三塁の場面で久本祐一の初球を捉えてダメ押しとなるライトオーバー2点タイムリーツーベースを放ち、これがプロ初打点となった。守っては先発の和田毅らをリードし9回2失点に抑え、攻撃では4打席で3出塁の活躍だった。続く6月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦でも2試合目の先発出場ながら内外を使い分けるリードで杉内俊哉を完封に導き、柴原洋のサヨナラ本塁打を呼んだ。以後5試合先発したが5試合で0勝3敗、打率.136と調子を崩して控えとなり、8月6日に二軍へ降格し、そのままシーズンを終えた。捕手難というチーム事情もあり正捕手として期待されたが、1年目の出場は12試合にとどまり、先発出場7試合、フル出場した3試合では2勝1敗、1完封勝利だった。二軍では31試合に出場し打率.253、出塁率.352を残し、75打数ながら3本塁打だった。
的山哲也が右膝を痛めたのをきっかけに7月5日に一軍に昇格し、7月8日から先発出場を続けて後半戦の正捕手として定着した。7月15日の埼玉西武ライオンズ戦で先発出場し、2回に石井一久から勝ち越しタイムリー打で本拠地福岡 Yahoo! JAPANドーム初安打・初打点を記録し、3回にも山岸穣からタイムリー打、5回には山岸から再び安打でプロ入り初猛打賞を記録するなど活躍し、プロ入り初のヒーローインタビューを受けた。7月16日の同カードでは5回に涌井秀章からプロ初本塁打となる先制ソロ本塁打を放ち、8回4点ビハインド二死一二塁の守備では打球をベンチに飛び込みながら捕球してピンチを救い、延長12回同点二死一二塁では小野寺力の149km/hの直球をライト前に弾き返し、プロ初となるサヨナラ打で連夜のヒーローとなった 。8月2日に山形県野球場で行われたフレッシュオールスターゲームに8番捕手として先発出場したが、守っては5回8失点、打っては3打数無安打と活躍できず、6回裏の守備から交代となった。8月20日の対西武戦で先発出場した際に新垣渚がプロ野球記録5暴投を更新、日本ワーストタイの1イニング3暴投を記録させてしまい、それが失点に繋がりチームは敗戦した。9月2日から先発出場した試合でチームが8連敗、9月17日の1勝を挟んで、9月18日からの先発マスクでもさらに6連敗し、チームの最下位の一因となった。自身が先発マスクを被る前のチームは借金1だったが、正捕手定着したシーズン終了時は借金13としてしまった。前年2桁勝利した杉内俊哉、和田毅と組んだ18試合ではチームを6勝9敗と負け越しさせた。捕手陣では最多となる62試合に出場し、56試合に先発出場、フル出場した40試合は18勝20敗2分、2完封勝利だった。規定試合数未満ながら盗塁阻止率.344を記録したが、一方で自己最多の215打席に立ったが打率は1割台に終わるなど課題も残した。
初の開幕マスクを任され、オリックス相手に和田毅を完封勝利に導いた。4月は正捕手としてほぼ先発出場していたがチームの月末の借金は3と負け越し、5月2日の対千葉ロッテ戦でフル出場して9イニング9失点したのを最後に控えとなり、以後守備でわずか3試合と出場機会が得られず7月6日に二軍へ降格し、10月11日に再昇格したが出場機会は無かった。なお5月以降は4月までに2本塁打・11打点を挙げていた田上秀則が5月から正捕手に定着した。最終的に先発出場は21試合で、フル出場した13試合では5勝8敗、2完封勝利だった。クライマックスシリーズファーストステージは2試合ベンチ入りしたが出場機会は無かった。
第1捕手山崎勝己、第2捕手田上という併用により、同年は主に守備要員として起用された。4月21日に一軍へ昇格し、控えとして出場を続けた。8月8日に1度だけ先発マスクの機会を得たが序盤に3点の援護を貰いながら本塁打を浴びるなど逆転を許し、5回終了後に小椋真介とバッテリーごと交代させられた。8月22日の出場を最後に、8月23日に二軍へ降格され、9月18日に再昇格したものの出場機会無くシーズンを終えた。クライマックスシリーズファイナルステージは全6試合中5試合にベンチ入りしたが出場機会は無かった。
西武からFAで移籍した細川亨が加わりさらに出場数が減少した。4月19日に昇格したが、出番が無く5月5日に二軍へ降格した。細川の左膝負傷により7月6日に再昇格すると、7月15日の対ロッテ戦で唯一先発出場したが初回に1点援護を得た後に、山田大樹が本塁打などで逆転を許し、4回に代打を送られ交代させられた。細川復帰により7月28日に二軍へ降格したが、8月27日に再び細川のふくらはぎ負傷により再昇格した。以降控え捕手として10試合出場して一軍でレギュラーシーズンを終えた。
クライマックスシリーズファイナルステージ、日本シリーズでは全試合にベンチ入りしたが出場機会は無かった。アジアシリーズでは11月27日の予選リーグ第3戦・対パース・ヒート戦で8回に代打から出場してそのまま守備につき、2イニングを無失点に抑えた。
開幕から抹消されること無く一軍でシーズンを終え、自己最多の64試合に出場した。開幕から控えで起用されていたが、4月14日の対千葉ロッテ戦で岩嵜翔と組み先発出場を果たすと、初回に先制され、味方の援護より前にさらに失点して敗戦し、6月中旬まで再び控え起用が続いた。精彩を欠いていた細川亨が6月下旬に二軍再調整となると、山崎勝己との競争に勝ち、7月から正捕手として先発出場が増え、7月6日からは19試合連続でスタメンマスクを被った。7月4日の対西武戦では4年ぶりに猛打賞を記録した。7月15日の対千葉ロッテ戦では大谷智久から先制の犠牲フライを放ち、大隣憲司を2安打1四球1死球の完封勝利に導いた。8月24日の対千葉ロッテ戦では6回の打席でそれまで無失点と好投していた成瀬善久から二塁打を放ち出塁し、続く本多雄一がバントの構えからバットを引いたが高谷はアンツーカーを越えるほど大きく飛び出しており、本来なら慌てて帰塁する場面で三盗を選択して里崎智也が二塁へ送球する間に成功、その後動揺した成瀬からソフトバンク打線は一挙5得点した。しかし「ミスはミス」と秋山幸二監督の評価は厳しかった。また、この三盗が2014年シーズン終了時点で自身唯一の盗塁成功となっている。7月中旬以降は各先発投手が敗戦を機に復帰した細川亨へ鞍替えしていき8月下旬には再び正捕手を奪われた。レギュラーシーズンは最終的に34試合に先発出場し、フル出場した12試合では6勝6敗、1完封勝利だった。先発投手では新人の武田翔太と組み7試合で4勝1敗、大隣と9試合で7勝1敗(7連勝)だった。一方、前年に2桁勝利した攝津正とは6試合で2勝2敗と相性が悪かった。代打ではチーム3位タイの11打席に立ったが9打数1安打で打率.111、出塁率.200と期待には応えられなかった。
クライマックスシリーズファーストステージは10月14日第2戦に5回8点ビハインドの場面で代打から守備に入り、以後4イニングを無失点に抑えたがそのまま敗戦した。ファイナルステージでは10月17日第1戦の8回1点ビハインドから守備に入り1イニングを無失点に抑えた。10月18日第2戦では8回3点ビハインドから代打で出場して1イニングを無失点に抑えた。10月19日第3戦では8回2点ビハインドから守備に入り1イニングを無失点に抑えた。ポストシーズンの打撃は3打数無安打1死球だった。
開幕を一軍で迎えた。3月31日に開幕3戦目の対楽天戦で前年好相性の武田翔太とともに先発起用されたが5イニングで6失点を喫して5回に代打を出され、以後はほぼ控え起用となった。4月23日大隣憲司の先発日にマスクを被ったが初回に2点先制され、ブライアン・ラヘアのスリーランホームランで逆転後に代打を出されて交代したが辛勝した。打率.133と不調で4月26日に再調整で二軍へ降格し、5月8日に再昇格した。しかし打率.105とさらに打率を下げ5月24日に再び二軍へ降格した。7月9日に一軍へ復帰も結果は出せず、打率.091で7月20日に再び降格した。9月14日に一軍へ復帰し、クライマックスシリーズ進出が途絶えて消化試合となった10月5日のシーズン最終戦でフル出場し、同年最下位の日本ハム打線を9イニング無失点と抑えて新人投手東浜巨を初の完封勝利に導いた。最終的に先発出場は3試合、フル出場は1試合で1勝0敗1完封勝利だった。代打では9打席9打数1安打で打率・出塁率ともに.111と2年連続秋山監督の期待には応えられなかった。持ち味だった打撃は打率.077と不振に終わり、出場数も前年の約3分の1という結果から、日本ハムから新たに鶴岡慎也をFA補強されてしまった。
4月4日に一軍に昇格、5月5日に一旦二軍降格となり、5月17日に再昇格はシーズン終了まで一軍に滞在した。しかし完全に控え起用となり、先発出場0、さらにシーズン無安打、出塁0、打点0に終わった。クライマックスシリーズファイナルステージは10月17日第3戦で9回7点ビハインドから守備に入り、1イニングを3者凡退に抑えた。日本シリーズは全5試合にベンチ入りしたが出場機会は無かった。
プロ入り前は遠投110メートル、捕球から二塁送球のタイムが1.8秒というプロのトップクラスとも遜色無い強肩や、2006年9月9日時点では大学のリーグ戦で捕逸が1度も無いなど安定した捕球術を評価されていた。
2012年8月16日の対千葉ロッテ戦の7回二死の場面で8番今宮健太が出塁した際、細川亨に代わりネクストバッターズサークルで準備をしているとウグイス嬢が「ピンチヒッター高谷」とコールし、本来の代打である小久保裕紀がすぐに登場してスタンドをざわつかせた。
チーム屈指の明るい性格で、ファン感謝祭ではチームメイトの物真似を披露するなど人気がある 。
リーグ優勝などの優勝の胴上げ参加時にチームメートに促されてソフトバンクモバイルのCMで登場する犬「白戸家のお父さん」のぬいぐるみを持って参加していたが、ファンに「お父さんの世話係」と認知されたことから2014年オフに辞任を表明した。
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