高田知季の出身高校
高田知季 プロ野球選手
- 高田知季卒業高校
- 岡山理科大学附属高校 偏差値 岡山県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1528位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1990年5月6日生まれ
髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵庫県姫路市出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。ニックネームは同姓の通信販売業、ジャパネットたかたにちなみ「ジャパ」。
1990年5月6日兵庫県姫路市で生まれた。姫路市立大津小学校で1年生の時にソフトボールを始め、姫路市立大津中学校では硬式野球の龍野ボーイズに所属した。
岡山理大附高時代は、1年時から遊撃手のレギュラーに定着。2年時の夏に、第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の興南高戦で、6番・遊撃手として起用され8回表に同点タイムリーを放つも、チームは2-3で敗退した。3年時の夏は、岡山県予選2回戦で高梁日新高に3-4で敗れた。
東都大学野球連盟に加盟している亜細亜大学に進学し、野球部に入部する。1年秋の途中から遊撃手のレギュラーに定着し、2年秋には自己最高となる打率.273を記録し、最多盗塁となる6盗塁を記録した。3年夏には日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、4年時は春・秋と連続でリーグ優勝を達成した。明治神宮野球大会には、3年時と4年時に出場している。亜細亜大学の同期に東浜巨、岡山理大附高校・亜細亜大学の1学年後輩に九里亜蓮、2学年後輩に薮田和樹がいる。4年時には副主将として主将の東浜を支えた。
2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスからドラフト3位指名を受けた。
1年目から春季キャンプはA組でスタートしたが、2月2日のシートノック中に嘔吐してリタイア1号となってしまい、宮崎市内の病院で風邪による胃腸炎と診断された。復帰すると紅白戦で5打数3安打の猛打賞とA組に残した首脳陣の期待に応えた。開幕一軍入りは逃したが、5月2日に体調不良の柳田悠岐に代わり、ウエスタン・リーグ22試合で打率.343の成績を残していたことから初めて一軍選手登録された。5月3日の対埼玉西武ライオンズ戦の延長11回同点の場面でウィリー・モー・ペーニャの代走としてプロ入り初出場し、長谷川勇也の左前打で好走塁を見せて二塁から一気に生還し、クロスプレーを制してチームのサヨナラ勝利に貢献した。しかし翌日5月4日の試合前の練習中に右足首を捻挫し、同日出場選手登録を抹消された。懲罰降格された松中信彦に代わって6月15日に再昇格し、6月16日の対読売ジャイアンツ戦で守備固めとして二塁手で起用されプロ初の守備についた。出場機会が無く1試合のみで6月26日に二軍へ降格し、7月も昇格したが出番無く抹消された。7月18日に秋田こまちスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに2番遊撃手としてフル出場したが4打数無安打に終わった。8月4日に再昇格し、正二塁手・本多雄一が故障離脱していた事から同日の対西武戦で8番二塁手としてプロ初の先発出場を果たしたが、微妙な判定などもあり3打数無安打に終わった。8月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦で5回第2打席で大谷智久から左中間に二塁打を放ち、これがプロ初安打となった。8月11日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でショートゴロで出塁し、ブランドン・ダックワース-嶋基宏バッテリーからプロ初盗塁を記録した。本多の一軍復帰により8月12日に二軍へ降格した。9月26日に再昇格したが代走2試合で9月30日に抹消されそのままシーズンを終えた。1年目の先発出場は8試合だった。二軍では78試合に出場し、打率.299、出塁率.372で終えた。
オフは11月26日から開催された台湾のウィンターリーグに派遣され、22試合に出場し、打率.323、出塁率.394、11打点の成績を残した。
春季キャンプはA組で迎えたが初日にウイルス性胃腸炎による発熱で離脱し、2年連続リタイア1号となり、B組行きとなった。5月31日に一軍に昇格したが3試合で二軍へ降格、8月15日に再昇格すると、8月20日の対西武戦の8回3点ビハインドの場面で代打起用され、増田達至から二塁打を放ち、これが代打起用初安打となったが、直後に牽制球で刺されチャンスを潰してしまった。8月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦の6回1点ビハインド無死満塁の場面で代打起用され、アンソニー・カーターのスライダーをレフト前に弾き返し逆転の2点タイムリー打を打ち、これがプロ初打点・代打での初打点となった。この活躍によりチームは3連敗を止めた。以後2度の代打で三振し、9月5日に二軍へ降格し、9月20日に再昇格し、10月2日のオリックス・バファローズとの両チームのリーグ優勝を賭けたシーズン最終戦では8回同点の場面で一軍でも1度、二軍通算でも2試合しか守ったことがない一塁手守備で起用されたが無難にこなし、自身初のリーグ優勝をグラウンドで迎えた。CSファイナルステージでは全試合にベンチ入りしたが出場機会は無く、日本シリーズではベンチ外に終わった。二軍では72試合に出場し、打率.307、出塁率.366を残した。
キャンプはA組で迎えたが、2月18日にインフルエンザと診断され3年連続の離脱となった。オープン戦でアピールした事で開幕を一軍で迎え、少ない出場機会で結果を残し、4度目のスタメン起用となった4月22日の対楽天戦ではプロ初の猛打賞を記録し、サヨナラの走者として生還した。
50メートル走のタイムが6秒0と俊足で走塁センスに加え、遠投120メートルの地肩を生かした送球も含め、大学時代に「大学No.1遊撃手」といわれたほどの堅実な守備力が武器。
打撃では、派手さはないがミート力があり、選球眼に優れている。大学時代は1番打者でバットを拳1個分短く握り、出塁を狙う小さなスイングだった。
2014年シーズン終了時の二軍公式戦成績は通算打率.303、出塁率.369で、安打に対する単打の割合が83.3パーセントと長打が少なく、三振率.161と三振も少ない。盗塁は企図31で成功17と成功率が低い。自身も2014年オフにパワーが無いと述べている。二軍での通算守備率は二塁手.981(56試合)、三塁手.933(35試合)、遊撃手.941(72試合)である。一塁手では2試合のみ出場した。
大学時代に、社会科の教員免許を習得するために母校である岡山理大附高で教育実習を行なった。
苗字の読み仮名は「たかだ」ではなく「たかた」であり、仮契約を結んだ際の会見では「ジャパネットたかたの高田社長と同じ。」と発言し話題となり、ニックネームもジャパとなった。
目標とする選手には、堅実な守備と状況に応じた打撃が出来るとして井端弘和の名を挙げている。
2014年からの登場曲である「Rusty Nail」は自身がカラオケで得意としており、城所龍磨の提案で登場曲となった。
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