高橋秀人の出身高校
高橋秀人 サッカー選手
- 高橋秀人卒業高校
- 前橋商業高校 偏差値 群馬県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 1124位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1987年10月17日生まれ
高橋 秀人(たかはし ひでと、1987年10月17日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属、ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー(センターバック)。東京学芸大学卒業。
小学校1年生(6歳)時にサッカーを始める。同6年生の時に図南SCジュニアユースのセレクションを受けた際には、クラムジーのために同学年の反町一輝、都丸昌弘、大河原亮に比べて目立たない存在であり、動きが鈍っていたことを機にボランチなど守備的なポジションを務めるようになった。2002年には日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で全国3位入賞。同年、前橋育英高校のセレクションに合格したが「前商から学芸大に行って教員免許を取れば良い」との説得を受けて、前橋商業高校へ進学。2年時には群馬県大会準決勝で細貝萌、青山直晃、吉澤正悟、伊藤拓真、後藤涼、田中亜土夢とのちにプロ入り6人を擁した前橋育英高校をPK戦の末に下し、全国高校選手権に出場、ベスト8入り。
2006年、体育教師を目指して東京学芸大学に進学し、蹴球部に所属。同期には鈴木崇文など。2年時に関東大学リーグでセンターバックとして相手FW高崎寛之(駒澤大学)を抑えた守備が評価され、以後3年連続で全日本大学選抜に選出され続けた。 また、3年時(2008年)の7月から特別指定選手としてJリーグ・FC東京の練習に参加。公式戦出場は無かったが、2008年J1第33節新潟戦(同年の最終ホームゲーム)の終了後に選手の一員としてセレモニーに参加したことでプロ志望へと翻意。4年時には関東大学リーグ2部リーグベストイレブンに選出された。 2009年夏季ユニバーシアード(ベオグラード)の日本代表に選出、同大会では主将を務め、ボランチでプレー。銅メダルを獲得した。ボールを前に運ぶ能力に自信を持ち、複数のJリーグクラブの間で争奪となったが、同年7月に大学卒業後のFC東京への入団が発表された。
2010年ナビスコカップ予選リーグ第3節新潟戦で初出場。この試合ではCBを務め無失点勝利に貢献した。FC東京でもボランチに配される機会があり、大熊清監督からは、スピードには欠けるが、ボールを散らせることや、高さがあって声を出せる点がこのポジションに向いていると評価された。2011年は長島裕明コーチの助けで自信を掴むと、米本拓司、ホベルトの負傷離脱が重なってボランチのレギュラーに定着。バランサーとしての役割に強みを見出し、献身的な守備でチームを支え、J1復帰に貢献した。
2012年より、登録をDFからMFに変更。中盤で相手の長身FWと競り合える選手としても重宝された。 ランコ・ポポヴィッチ監督は、高橋の適性をフォアリベロに見出しており、米本の復調に伴って3バックの中央などCBでも起用。4バックと3バックとを使い分けるチームのキーマンとなった。もっとも、代表の影響から好不調に波が出てしまい、2013年に至っては代表で得た収穫をクラブでの戦術として消化できず、精神的に不安定な状態に陥っていた。
2014年は主にMF3名の中央に位置するアンカーに据えられ、相手の攻撃を局面で封じた。2015年序盤は先発を外れ守備固めでの起用が続くも、第13節以降はポジションを譲らず上位進出に貢献。
2012年4月に日本代表候補合宿に初招集。5月23日、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦で、国際Aマッチ初出場。アルベルト・ザッケローニ日本代表監督からは、攻守のバランス感覚、戦術眼、カバーリング能力、フィジカルに優れると評価され、翌月からのFIFAワールドカップアジア最終予選メンバーにも選出された。
2013年は日本代表としてコンフェデレーションズカップに帯同し、東アジアカップオーストラリア戦ではゲームキャプテンを務め同大会の優勝を果たすなど戦力として食い込みつつあったが、代表とクラブの行き来も影響して好調を維持できなかった。
2014年開催のFIFAワールドカップ本大会に当たっては、専門誌で「2010年大会のようにアンカーを置く守備的布陣を採用するのならば最適の選手」との評価を受け、守備のユーティリティー性からも有力候補として名前が挙がったが、攻撃重視のメンバー選考が行われたために選外となった。
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