高橋 忠一(たかはし ちゅういち、1960年5月31日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
前橋工では、1978年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、エース木暮洋を擁する桐生高に惜敗し甲子園出場を逸する。卒業後は東京ガスに入社。1980年の都市対抗から同大会に3年連続出場。
1983年のドラフト6位でロッテ入団。1984年には新人ながら、主に左翼手として25試合に先発出場、打率.280の好成績を記録した。しかし翌年春に肩を故障し、出場機会が減少。1989年に復活し、外野手の準レギュラーとして起用されるが、1990年限りで現役引退。
引退後は軟式野球のRBA日本不動産野球連盟所属の扶桑レクセルの監督兼野手としてチームを牽引した。
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