高橋峻希の出身高校
高橋峻希 プロサッカー選手
- 高橋峻希卒業高校
- 志木高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
- プロサッカー選手ランキング
- 699位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1990年(平成2年)5月4日生まれ
高橋 峻希(たかはし しゅんき、1990年(平成2年)5月4日 - )は、埼玉県朝霞市出身のサッカー選手。ポジションは右サイドハーフ、右ウィング、右サイドバック。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。
中高生年代では、ジュニアユース、ユースと浦和レッドダイヤモンズの下部組織に所属。ジュニアユース時、キャプテンを務めていた2005年に、高円宮杯U-15で優勝を飾った。
2006年のAFC U-17選手権にU-17日本代表として参加。続いて2007年8月に行なわれたU-17W杯にも出場。本職の右サイドハーフではなく右サイドバックを務め、3試合に出場した。また、2007年から浦和レッドダイヤモンズのサテライトに山田直輝と共にたびたび出場。2007年のサテライトリーグでは6試合に出場、1得点を挙げている。翌2008年のサテライトリーグでも5試合に出場している。
2008年、U-23日本代表との練習試合でゴールを決める。4月に、2種登録選手としてトップチーム登録され、5月10日、対川崎フロンターレ戦にて初のベンチ入りを果たした。また、5月25日、ナビスコカップ第4節、対名古屋グランパス戦で公式戦初出場を果たすが、自身のパスミスから失点するなど、苦いデビュー戦となった。その後のナビスコ第5節、対ヴィッセル神戸戦、第6節対名古屋グランパス戦にも連続出場。第6節では先発し、フル出場を果たしている。7月31日、さいたまシティカップ、対バイエルン・ミュンヘン戦に後半途中出場、縦への突破から相手ゴールを脅かした。ユースでは10月13日、高円宮杯U-18決勝の、対名古屋U-18戦にて2得点1アシストをあげ、悲願の『優勝』に貢献した。AFC U-19選手権2008に出場するU-19サッカー日本代表に選出されるも、体調不良のため辞退する。
2009年、山田直輝、濱田水輝、永田拓也とともにトップ昇格。怪我により出遅れていたが、5月10日の川崎フロンターレ戦、後半18分に途中交代で投入され、リーグ初出場を果たした。以後、左右のサイドハーフとして途中出場で投入されるケースが増え、5月30日のナビスコカップ第4節、対アルビレックス新潟戦では、フル出場を果たした。リーグ初先発は、7月4日、対モンテディオ山形戦。累積警告によって出場停止の山田暢久に代わって右サイドバックとして先発、後半は左サイドバックに移り、フル出場した。7月11日の対サンフレッチェ広島戦では、左サイドバックとして先発するなど、多様なポジションで起用されていた。その後は負傷などもありしばらく試合から離れていたが、再び山田暢久が出場停止となった影響で10月3日の対ジェフユナイテッド千葉戦に久々に右サイドバックで先発出場、その試合でプロ初ゴールを記録し、11月8日の対FC東京戦ではプロ初アシストも記録した。12月19日、U-20代表の国際親善試合、対韓国戦に出場。山田直輝へのパスで1アシストをマークした。
2010年、シーズン序盤から度重なる負傷に苛まれ、復帰しては離脱を繰り返す苦しいシーズンを送っていたが、ようやく負傷が癒えたシーズン終盤からは右サイドハーフのスタメンに定着、鋭いドリブル突破とセンタリングから得点に結びつくプレーを披露し、復調をアピールした。
2011年はプレシーズンマッチ、開幕戦とベンチ入りメンバーからも外れていたが、東日本大震災での中断期間中に行われたモンテディオ山形とのトレーニングマッチで右サイドバックのレギュラーだった平川忠亮が故障したため、中断明け以降は右サイドバックのレギュラーとして定着した。しかし、終盤戦は故障の影響もあり殆どの試合を欠場することになった。
2012年はスタメンが控え組で構成される試合が多かったナビスコカップでは5試合に出場したが、リーグ戦では平川忠亮、宇賀神友弥の後塵を拝じ出場が無く、7月15日、J2ジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍をすることが発表された。背番号はプロ1年目と同じ33を背負う事になって、加入後は14試合出場を果たした。
2013年も、期限付き移籍期間延長が発表され、ジェフユナイテッド千葉でプレーすることになった。この年は右サイドバックだけでなく、不慣れな左サイドバックでもプレーした。チームはプレーオフで敗退しJ1昇格はならなかった。
2014年、J1へ復帰したヴィッセル神戸へ完全移籍。背番号は2。開幕戦から右サイドバックのレギュラーポジションを確保し、J1では自己最多となるリーグ戦28試合に出場した。埼玉スタジアムで行われた第18節の古巣浦和戦では、1-1の後半に一時勝ち越しとなる恩返しゴールを決めた。(アディショナルタイムに追いつかれてドロー決着。)
2015年度は背番号を6に変更。
サイドアタッカー。ユース時代は3トップの右ウイングとしてプレイしたが、ユース代表で右サイドバックを務めるなど、右サイドのポジションであればどこでもこなすことができる。登録ポジションはミッドフィールダーだが、センターバックとゴールキーパー以外全ポジションでプレー経験を持つ。プロ入り後は、主に右サイドバックとして起用されている。
山田直輝、原口元気、濱田水輝とともに「浦和ユース黄金世代」と呼ばれる右サイドの選手。 サポーターからは、共通点として「き」が付くことから大谷幸輝も含め、「浦和の5き」と呼ばれている。ユース時代のチームメイトには田仲智紀もいた。 同期の中では一番人見知りする性格らしく、普段は口数が少なく大人しい青年である。しかし練習などで同期や年の近い選手といる時は口数は多くなる。
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