鈴木亜美の出身高校
鈴木亜美 ミュージシャン
- 鈴木亜美卒業高校
- 綾瀬西高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- ミュージシャンランキング
- 785位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1982年2月9日生まれ
- 血液型
- A型
鈴木 亜美(すずき あみ、1982年2月9日 - )は、日本の歌手、女優、作詞家。本名同じ。愛称はあみ〜ゴ、亜美ちゃん。旧芸名、鈴木 あみ(読み同じ)。
神奈川県座間市出身。エイベックス・マネジメント所属、レコード会社はavex trax。
身長159cm、血液型A型。日出女子学園高等学校卒業。
1998年2月、『ASAYAN』(テレビ東京)の『ボーカリストオーディション・ファイナル』の最終電話投票審査で80万票以上を集め1位となり、小室哲哉のプロデュースでの歌手デビューが決定。同年4月、番組内でSMEJの丸山茂雄代表取締役社長の許へ小室と訪ね、丸山はその場で同社からのCDリリースを快諾。所属事務所は1997年まで小室のマネジメントを担当したエイベックス子会社のプライムディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)内「TKルーム」のマネージャーが設立したサテライトポイントグループのエージーコミュニケーションに決まった。小室の提案により本名の鈴木亜美ではなく、芸名「鈴木あみ」となった。
1998年7月1日にSMEJ Associated RecordsのSony Recordsレーベルからシングル『love the island』でプロデビュー。「あみ〜ゴ」(=アミーゴ)の愛称で若者から人気を集め一躍アイドルとなった。また、同シングルはオリコンの集計では30万枚近いセールスを記録するヒットとなった。
1999年1月25日にワニブックスから写真集『amigo』を発売、徹夜組500人を含め5000人のファンが銀座福家書店に握手を求めて集まった。写真集は発売から6日で早くも20万部を突破する異例の売れ行きとなった。2月発売の『Nothing Without You』からレコードレーベルをSMEJ Associated Records内のTRUE KiSS DiSCに移籍した。
1999年3月6日に発売したファーストライブのチケットは数分で完売。3月25日発売のファーストアルバム『SA』は、約180万枚を売り上げミリオンセラーとなり、夏に発売されたシングル『BE TOGETHER』、『OUR DAYS』はオリコン週間ランキング1位を獲得した。さらに年末の第50回NHK紅白歌合戦にも初出場し、『BE TOGETHER』を歌唱。自身最大のヒット曲となった。また同年1999年12月22日「HAPPY NEW MILLENNIUM」は共作ながらも本人による初作詞であり、以降の楽曲で作詞家としてのデビュー作となる。
2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセールスを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。4月に発売したシングル『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』もオリコンで1位となり、連続リリースのアルバム『infinity eighteen vol.2』も1位となった。夏に全国アリーナツアーを果たし、NHK総合テレビのドラマ『ドラマDモード深く潜れ〜八犬伝2001〜』でテレビドラマに初主演するなど活動の幅を広げ、絶頂期を迎えた。
しかしながら1999年7月、エージーコミュニケーション(以下、エージー)の社長が経営コンサルタントから他の芸能事務所と共に法人税の脱税指南を受けたとして、同社に対して東京国税局国税専門官の査察が行われる。これを受け、エージーの社長は脱税が公になった時の所属タレントの風評被害を躱す意図から専属契約部分を系列会社のミュージック・トライブへ名目上移籍させ、1999年10月から専属契約を締結した(後の訴訟での陳述で公にされた)。2000年2月に脱税指南をしたコンサルタントが逮捕され、東京国税局は2000年3月にエージー社長らを東京地方検察庁へ告発。同年7月にエージーの社長らが法人税法違反(法人所得の過少申告により約2億5千万円脱税)容疑で逮捕される事件となった(2001年に執行猶予付有罪判決が確定)。これにより芸能活動で多忙を極めた鈴木側と芸能事務所の間に大きな溝が生まれ、2000年10月26日に鈴木の父は専属契約を更新しない旨通告した。
2000年12月には脱税事件により信頼関係が崩壊したとして、所属事務所でマネジメント契約を結んだエージーコミュニケーションおよび専属契約を結んだミュージックトライブに対して「契約終了の確認」とレコード会社や広告代理店などから事務所に支払われた大もとの「契約出演料明細の交付」を求め、鈴木本人と親権者である両親が東京地裁に民事訴訟を提起した(委任契約終了確認等請求事件。当時鈴木は18歳で未成年であった為)。
訴訟提起後もデジタルドリームライブ・第51回NHK紅白歌合戦や鈴木あみのアイドルダウンロードショーなどの出演はこなしたものの、主演が内定していた2001年4月からのテレビドラマ「新・星の金貨」は降板し、出演者変更のため2話分短縮(放送開始繰り下げ)される事態が発生した(訴訟で「新・星の金貨」は事務所がレコード会社と勝手にオファーを受けたなどと代理人が陳述)。小室はエージー社長と懇意にしていたこともあり、小室が紆余曲折を経てエイベックスに所属するまでは音楽上の関わりあいが断たれることになった。マスメディアからは独立騒動(お家騒動)と受け止められていたが、2001年3月8日の日刊スポーツは一面で鈴木の引退危機に追い込まれていた事を報じていた。CMなどの出演契約が満了した2001年4月以降は出演契約の締結・更新など芸能活動が不可能となり、実質引退状態に追い込まれることとなった。この時点では所属契約は解除されていないため、CD・ビデオや書籍は廃盤・絶版扱いにはならず、従来通り商品の入手が可能であった。
この事態を受けて、2001年3月末にファンはインターネット上でデビュー曲である『love the island』を大量に購入し、オリコンにランクインさせるという行動を呼びかけた。オリコンチャートトップ10にこそランクインしなかったものの、その活動を受けてTRUE KiSS DiSC(SMEJ)は2001年5月末に急遽ベスト・アルバム『FUN for FAN』を発売。オリコンアルバムチャート1位を記録した。また、同時にファンサイト内で鈴木の復帰を求める署名活動も実施。国内だけでなく、台湾からも多くの署名が集められた。
しかしながら、SMEJとの専属実演家契約はプロミュージシャンでは慣例となっている芸能プロダクション(エージーコミュニケーション・ミュージックトライブ)を交えた三面契約で締結していた(CDのギャランティーは芸能プロダクションに支払われ、経費を差し引いてアーテイストに渡される)ことから、『FUN for FAN』発売後の同年6月にSMEJに対しても所属事務所と同様の「契約終了の確認」および「実演家印税の支払い・明細の交付」を求めて新たに東京地裁へ民事訴訟を提起した(専属実演家契約終了確認等請求事件)。この訴訟では『FUN for FAN』発売はレコード会社によって勝手に行われ、売上に対する印税を受け取っていないと鈴木側は主張している(SMEJは所属事務所に支払っていると主張)。
2001年7月18日、委任契約終了確認等請求事件の判決で、東京地裁(金井康雄裁判長)はエージーコミュニケーション、ミュージックトライブとの「契約終了」については鈴木側の主張を認め、「明細の開示」については認めないとした。上告しなかったことから所属事務所との契約終了については確定。法的上、歌手以外の活動は事務所から独立してフリーランスになった。しかしSMEJとの訴訟は係争中のままであり、受け入れる新たな事務所も無く、芸能活動は停止したままとなった。なお、一連の訴訟には鈴木本人は姿を見せなかった。
2002年1月6日、女性週刊誌・スポーツ紙の記事で小室哲哉繋がりで吉本興業に所属し、春を目処にR and C JapanからCD発売と報じられた。2月には林裕章吉本興業社長が契約交渉を詰めている事を認めたが、4月15日の吉本新喜劇の記者会見後の取材で鈴木側の弁護士と話がつかないとして静観していると発言し、自然消滅となった。
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