金田留広の出身高校
金田留広 プロ野球選手
- 金田留広卒業高校
- 愛知高校 偏差値 愛知県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 524位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1946年11月17日生まれ
金田 留広(かねだ とめひろ、1946年11月17日-)は、昭和後期(1970年代-1980年代前半)のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ 国鉄スワローズ→読売ジャイアンツで日本プロ野球唯一の400勝を達成した金田正一の弟。日本通運浦和(社会人野球)から1969年のドラフト会議 ドラフト第4位指名で北海道日本ハムファイターズ 東映フライヤーズに入団。初年度から先発型エースとして活躍し、同年18勝。1972年に20勝を上げて最多勝利投手のタイトル受賞。1974年には前年から兄が監督を務めていた千葉ロッテマリーンズ ロッテオリオンズ(当時は事実上宮城県を本拠としていた)に移籍し16勝で最多勝とリーグ年間MVP受賞(ちなみに、兄正一は一度もリーグ年間MVPを取る事はなかった)。チームの24年ぶりの日本一に貢献する。1979年広島東洋カープに移籍(この年、甥の金石昭人も学校法人PL学園 PL学園からドラフト外で入団)。もう力は落ちていて登板機会は少なかったが、古葉竹織監督からの信頼も厚く、ローテの谷間の先発で意気に感じて奮起してチームを救い日本一2連覇に貢献した。登板機会が次第に減り1982年限りで引退したが、ストイックな性格の多かった当時の投手陣を大きな声で笑いに包み、投手陣を勢いに乗せた功績は大、と評価される。
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