近藤光史の出身高校

近藤光史 アナウンサー

近藤光史卒業高校
西宮市立西宮東高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
アナウンサーランキング
698位 / 1802人中 アナウンサー別偏差値ランキング
性別
男性

近藤 光史(こんどう みつふみ、1947年(昭和22年)7月12日 - )は、元・毎日放送アナウンサー。現在は、昭和プロダクション所属のフリーアナウンサーとして、関西を中心に活動している。身長170cm。

愛称は「コンちゃん」。出演番組などでの自己紹介では、「コンちゃん、近藤光史です」と言うのが恒例となっている。岡山県岡山市の生まれで、2009年(平成21年)には、社団法人(現・公益社団法人)岡山県観光連盟から「おかやま観光特使」に任命されている。

岡山市生まれの大阪市阿倍野区・兵庫県西宮市育ち。1963年(昭和38年)4月に西宮市立西宮東高等学校へ第1期生として入学した。

高校時代には山岳部に所属。卒業後に学習院大学の文学部へ進学したが、再受験を経て翌年に早稲田大学社会科学部へ入学した。早稲田大学への入学後は、放送研究会アナウンス部からの出向扱いで、「ナレオ・ハワイアンズ」(同大学の音楽クラブに所属するハワイアンバンド)のライブ司会者として活動していた。

1971年(昭和46年)4月に、アナウンサーとして毎日放送へ入社した。同期のアナウンサーは、野村啓司(現在はフリーパーソナリティ)と平松邦夫(後の大阪市長)。アナウンサーではないが、同局現社長の河内一友も同期生に当たる。

毎日放送への入社後は、『ヤングおー!おー!』『MBSヤングタウン』『スタジオ2時』などの公開番組や、MBSラジオの生放送番組『6時半です。おはようコンちゃん』『でんわ大好きKYU-KAN-CHO』などに出演。出演番組では、「胴間声(どうまごえ)」と自称するほどの大声による関西弁での司会・フリートークなど、お笑い芸人顔負けの個性を発揮していた。

また、小池清がアナウンサー室長を務めていた1983年には、小池の依頼で先輩アナウンサー(当時)の斎藤努とともに『あどりぶランド』(局アナが全員揃って出演する日本初のテレビ番組)の企画を立案。1984年1月から同番組の放送を開始してからは、数々のキャラクター("ハジソン博士"など)を演じたり、番組恒例の時代劇企画で歴史上の人物(『水戸黄門』の格さん)に扮したりすることが多かった。1984年度のアノンシスト賞で、毎日放送アナウンサー室がグランダ・プレミオ(大賞)を受賞した企画「旧札vs新札」では、伊藤博文役を演じている。

1989年の人事異動では、アナウンス室に籍を置いたまま、毎日放送千里丘放送センターなど数カ所に分散していた同局の本社・制作機能を現在の社屋(大阪市北区茶屋町)へ集約させるための社内プロジェクト(茶屋町再開発プロジェクト)チームにも配属。やがて、チームの活動に専念するため、アナウンス室を離れた。しかし、1992年(平成4年)8月、当時の妻の健康上の事情などを理由に毎日放送を退職した。

退職後は、「(毎日放送への)入社直後に出張で訪れた際に見た綺麗な海を忘れられなかった」などの理由からタヒチへ移住。現地で日本人向けの海外挙式会社を設立すると、タヒチ観光局から正式に観光業者としての登録を受けた。1997年3月にはニューカレドニアにも、同種の会社を立ち上げている。フランスがタヒチ近海で核実験を実施した1995年(平成7年)以降は、風評被害が観光に及ぼす影響を払拭すべく、NHKやタヒチのテレビ局のインタビューに登場。タヒチ観光局からの依頼で、日本のテレビ局に対して、観光立国タヒチの安全を訴えるPR活動を展開したこともある。

2000年(平成12年)9月に日本へ帰国(詳細はエピソード#タヒチからの帰国・放送業界への復帰を参照)。翌月には、MBSラジオの新番組『こんちわコンちゃん2時ですょ!』(現在の『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』)で、ラジオパーソナリティとして同局の番組に復帰した。以降は、同番組を中心に、フリーアナウンサーとして活動の幅を広げている。

2003年(平成15年)9月から半年間、『こんちわコンちゃん』と並行して、読売テレビの『情報満載 ひるまで!すっぴん!』で司会を担当。毎日放送以外の放送局の番組へ、初めてレギュラーで出演した。2007年(平成19年)1月には、「ドラマ30」シリーズの『家族善哉』(MBS制作・TBS系列)に友情出演。2009年(平成21年)9月18日には、『こんちわコンちゃん』の放送2000回到達(同年9月25日)を前に、阪神甲子園球場でのプロ野球公式戦(阪神タイガース対広島東洋カープ)で人生初の始球式を経験した。『こんちわコンちゃん』の中で、学生時代走るのが速かったと自慢している。

また、『こんちわコンちゃん』の企画で、自身の作詞・歌唱による楽曲「寿(ことぶき)」のCDを製作。2010年(平成22年)12月には、同番組月曜日で共演中の大平サブロー芸能生活36年記念舞台「あかんたれ芸人の詩」に、寄席の支配人役で出演した。2009年からは、同番組とローソンのコラボレーション企画で、地域・期間限定発売の食品をプロデュース。2012年(平成24年)9月1日には、自身の半生や『こんちわコンちゃん』の番組史などをまとめた初の著書『こんちわコンちゃんお昼ですょ! 夢が我が家にやってきた』(以下『夢が我が家にやってきた』と略記)を発売した。

趣味は、日曜大工、機械いじり、ゴルフ、釣り、ショッピング、Nゲージ、「すきま風」(杉良太郎)を初めとするカラオケなど。Nゲージについては、現在の自宅の一角に、かつて岡山市内の実家付近を走っていた西大寺鉄道沿線の風景を特注のジオラマで再現している[7]。

過去に3度の婚姻歴があったことを、『こんちわコンちゃん』などで自ら公表済み。2013年3月17日に、大平サブロー夫妻による仲人で、4度目の結婚式を挙げた[8]。 

毎日放送アナウンサー時代

フリーアナウンサー転向後

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