行天豊雄の出身高校

行天豊雄 その他

行天豊雄卒業高校
希望ヶ丘高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
その他ランキング
69位 / 179人中 その他別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1931年1月2日生まれ

行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の経済学者。大蔵官僚、財務官。

神奈川県出身。1943年(昭和18年)に間門国民学校卒業、1948年(昭和23年)には神奈川県立横浜第一中学校卒業した。

同年には第一高等学校に入学したが、同校文科乙類(ドイツ語)のクラスメートには、本間長世(東大名誉教授、アメリカ史)、芳賀徹(東大教授、比較文化史)、高階秀爾(東大教授、美術史)らがいた。翌年、学制改革に伴い新制東京大学を受験するも不合格となり、1950年(昭和25年)に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学した。

早稲田大学政治経済学部新聞学科のクラスメートには、早坂茂三(田中角栄秘書)、岡村喬生(オペラ歌手)、越智勝幸(日本経済新聞政治部長)らがいた。

翌1951年(昭和26年)、東京大学を再受験して入学した。1955年(昭和30年)に同大学経済学部を卒業したが、学部時代には今野源八郎ゼミ(アメリカ経済論)に所属していた。

大学を卒業した1955年(昭和30年)、大蔵省(当時)に入省、主税局税関部業務課に配属された。同期の入省者には、平澤貞昭(後の大蔵次官)、宍倉宗夫(後の防衛次官)、岸田俊輔(後の証券局長)、松岡宏(後の関東信越不服審判所長)、水野勝(後の国税庁長官)、古橋源六郎(行管次官)らがいた。

入省翌年の1956年(昭和31年)9月からは、アメリカ合衆国のプリンストン大学大学院社会経済学部に留学した。2年後に留学から帰国すると、為替局に務めた。

1984年(昭和59年)には国際金融局長に就任し、翌年のプラザ合意に立会い、日本を代表する「通貨マフィア」として知られるようになった。さらに翌年6月から1989年(平成元年)7月までは財務官を務め、ルーブル合意にも関与した。また、行天は同年、早稲田大学の同級生で、当時野村證券副社長だった寺澤芳男を、同年に発足した多国間投資保証機関(MIGA)の初代長官として推薦している。

同年、行天は大蔵省顧問となり、翌1990年(平成2年)に退官となった。

退官後の1991年(平成3年)7月には東京銀行に顧問として天下りし、翌年6月には同行会長に就任した。また、ハーバード大学客員教授、プリンストン大学客員教授なども歴任、1995年(平成7年)12月には財団法人国際通貨研究所理事長となった。さらに、1998年(平成10年)7月から12月までは内閣特別顧問を務めた。

第1回緊急首脳会議(金融サミット)を前にした2008年(平成20年)11月4日には、野上義二とともに内閣官房参与(国際金融問題担当)に任命された。さらに翌年9月17日には、財務大臣(当時)藤井裕久が大臣就任記者会見において、行天を財務省の特別顧問に迎えることを明らかにした。

特技は水泳。仏ブルゴーニュのChevalier de Tate-vinという称号を持っており、以来ワインはブルゴーニュ派である。

友人に中野好之(エドモンド・バーク研究、父は英文学者中野好夫)、赤木昭夫(NHK解説委員)らがいる。

兄は千葉医学専門学校を卒業し、NHK解説委員を経て評論家となった行天良雄。

行天豊雄の関連人物

その他偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

その他偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング