花紀京の出身高校
花紀京 お笑い芸人
- 花紀京卒業高校
- 阿倍野高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- お笑い芸人ランキング
- 186位 / 407人中 お笑い芸人別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1937年1月2日生まれ
花紀 京(はなき きょう、1937年1月2日 - 2015年8月5日)は、日本の俳優、お笑い芸人である。
大阪府大阪市天王寺区出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
本名、石田 京三(いしだ きょうぞう)。父は漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」の横山エンタツ。
横山エンタツの次男であるが、尊敬する人物は父の相方であった花菱アチャコであると語っている。中学時代は、父親が喜劇人エンタツであることを知らなかったらしい。大阪府立阿倍野高等学校を経て関西大学入学後の1958年、花登筺に弟子入りし、1959年には劇団・笑いの王国の旗揚げに参加。
同劇団解散後、1962年に吉本興業入り。1963年には早くも吉本新喜劇の座長に抜擢され、岡八郎や原哲男、のちには桑原和男らとのコンビで活躍する。また、岡とは漫才ブームの時期にコンビを組んで漫才をしたこともあった。
トレードマークとも言われるニット帽にシャツ、腹巻、ニッカーボッカーで目の下に隈、鼻を赤くしてのスタイルが多く、泥棒役や土木作業員役が主な役どころ。特に原との独特のボケツッコミで知られ、新喜劇では本名の「京三」を役名として使っていた。同時に『てなもんや三度笠』などのテレビ番組にも出演する。
1989年、「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を開始した吉本新喜劇を退団。その後は多数の映画やテレビドラマに出演し、新境地を開拓した。
2001年、ダウンタウン、東野幸治、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、山田花子、藤井隆、間寛平と期間限定ユニット「Re:Japan」を結成し、NHK紅白歌合戦に出場した。
2002年8月に脳腫瘍の摘出を経て、2003年5月には自宅で入浴中に低酸素脳症を発症して病院に搬送されてからは療養生活に入ったため、長らく事実上の活動休止状態となったが、2015年8月5日午後7時半すぎ、肺炎により入院先の大阪市内の病院で死去。満78歳没(享年79)。通夜・葬儀は近親者のみで行われることが表明された。
花紀の訃報を受け、後輩にして新喜劇メンバーだった間、彼の元付き人にして舞台『吉本百年物語 これで誕生! 吉本新喜劇』で花紀を演じた内場勝則、内場の妻でもある未知やすえらが記者会見を通して花紀の死を悼んだうえ、新喜劇座長の小籔千豊は自身のTwitterにて「今日はより一層吉本新喜劇を盛り上げるぞ!」と語り、大先輩の死に接して劇団を更に発展させていく決意を明らかにした。また、内場は2015年8月8日放送の『よしもと新喜劇』(MBS)のエンディング後にも主調整室のカメラの前に立ち、花紀への追悼を述べた。
字面にすると伝わりにくいが京は間の取り方が絶妙で、ボケぶりは逸品である。
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