芝草宇宙の出身高校

芝草宇宙 その他

芝草宇宙卒業高校
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性別
女性
生年月日
1969年8月18日生まれ

芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者、野球指導者。

帝京高校で高校野球大会に通算3回出場。1987年の第69回選手権大会では2回戦・対東北高校戦でノーヒットノーランを達成(選手権大会史上20人目)するが、野村弘、橋本清、立浪和義、片岡篤史らを擁するPL学園高校に準決勝で敗れた。

同年秋のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズに6位指名され入団。同期入団の島田直也とともにSSコンビと呼ばれた。ドラフト指名の時、当時パ・リーグ広報部長だったパンチョ伊東が彼の名を会場に呼び上げる際、「日本ハム、芝草宇宙(中略)“ひろし”は宇宙、大宇宙、コスモ(と漢字を説明する)」と発表し話題になった。なお、『宇宙』の名前の由来は、生まれた年に行われたアポロ計画(アポロ11号の月面着陸)から来ており、それに感銘を受けた父親が名付けたものである。

1991年に初めて一軍に昇格し、初登板で完封勝利を達成。1996年、1998年に自己最多の7勝を挙げたがシーズン勝ち越しが1度しかなく伸び悩んでいた。

1999年は4月7日の東京ドームでの西武ライオンズ戦において、プロ入り初登板初先発の松坂大輔と投げ合ったが、敗戦投手となった。この年はシーズン途中から中継ぎで投げ、24試合で3勝4敗の成績で終わった。以降は投球フォームをオーバースローからサイドスローに変え先発から中継ぎに転向した。

2000年はわずか20試合の登板にとどまったが、防御率2.93と安定した投球を見せた。

2001年は56試合に登板し、6勝4敗2セーブ、防御率3.57の成績を残した。

2002年は抑えも任されたこともあり、11セーブを挙げたが、防御率は前年とそれほど変わらなかった。

2003年9月28日、この前年に球団本拠地の北海道移転が決定していた日本ハムの「東京ドーム本拠地最終戦」で最終回のマウンドを踏んだ。しかし結果は四球による押し出しが決勝点となり、東京時代最後の敗戦投手となる。2004年から2006年まで北海道の緑をイメージした緑色のグラブを愛用しており、日本ハム時代に同僚の入来祐作から「バッタ」と呼ばれていた。自身の公式ブログのバナーにもグラブの写真を載せている。この年は58試合に登板し、3勝2敗、防御率4.02と安定感に欠けた。

2004年も50試合に登板したが、2勝2敗、防御率5.43と前年より防御率が悪化した。

2005年は一軍登板なしに終わり、オフに投手コーチ就任を要請されるもこれを固辞、戦力外通告を受け、自由契約となった。その後、12球団合同トライアウトに参加し、福岡ソフトバンクホークスにテスト入団した。

しかし、故障によりソフトバンクでは一軍登板の機会がなく、2006年10月3日に再び戦力外通告を受けた。2年連続で12球団合同トライアウトを受け、オランダのフーフトクラッセから誘いが来るも断り、2007年、台湾・興農ブルズのテストを受け合格した。

同年5月20日、興農から戦力外通告を受け、現役引退した。

同年10月13日、パ・リーグ・クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦の中継(テレビ埼玉制作)で野球解説者としてデビューした。2008年にGAORA、日刊スポーツにて本格的な解説業を開始した。

2009年1月30日、社会人野球チームの市民球団かずさマジックのコーチに就任することが発表された。同年11月2日、かずさマジックからの退団がブログで発表された。

2010年に北海道文化放送・GAORAの解説者に就任。

2012年に東日本大震災復興支援ベースボールマッチで投手コーチを務めた。

2011年から2012年まで日本ハムの一軍投手コーチを務め、2013年からは同球団のチーム統轄本部アマスカウトを担当している。

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