織田淳哉の出身高校
織田淳哉 プロ野球選手
- 織田淳哉卒業高校
- 日向高校 偏差値 宮崎県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2992位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1972年8月8日生まれ
織田 淳哉(おりた じゅんや 1972年8月8日-)は宮崎県出身の元プロ野球選手。守備位置は投手(一時捕手に転向)。右投げ右打ち。宮崎県立日向高等学校 日向高校から早稲田大学に進学し、東京六大学野球連盟 東京六大学リーグでは1年春からエースとして活躍。連投に次ぐ連投で歴代11位(当時)の33勝を打ち立てた。また、打者としても優れ、投手としては宮武三郎を抜く通算9本塁打のリーグ記録を樹立。4年時には主将を務めるだけでなく4番を打ち、大学球界でも死語になっていた「主将・投手・4番」を実現した。代打に立ってそのままリリーフに立ったこともある。1994年、読売ジャイアンツを逆指名しドラフト2位で入団。即戦力投手として期待され、1年目の1995年には中継ぎで16試合に出場した。1996年シーズン終盤に、当時ジャイアンツの捕手陣は層が浅かったため、長嶋茂雄監督の発案により捕手に転向した。打撃センスは良く、捕手としても期待が掛かったが、肩が弱く守備での失策が多かったため、捕手を断念。1998年シーズン中に投手に再転向した。だが、若手の台頭や戦力補強により、2軍でも殆んど出場機会が恵まれなかった。1999年シーズン終了後に戦力外通告を受け現役を引退。2度に渡る転向など、織田に対する過去の扱いを球団側が配慮し、球団職員として残ることが出来た。現在は1軍広報としてチームを支えている。
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