秋山登の出身高校
秋山登 プロ野球選手
- 秋山登卒業高校
- 岡山東商業高校 偏差値 岡山県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3175位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1934年2月3日生まれ
秋山 登(あきやま のぼる、 1934年2月3日 - 2000年8月12日)は昭和中期から後期(1950年代後半-1970年代前半)のプロ野球選手・プロ野球監督。岡山県岡山市出身。現役時代からコーチ・監督時代まで横浜ベイスターズ 大洋ホエールズ一筋を貫いた人物。岡山県立岡山東商業高等学校 岡山東商、明治大学 明大を通じて土井淳とバッテリーを組み、大学通算で33勝18敗を記録。当時、「黒雲なびく駿河台」と校歌をもじられるまで弱体化していた島岡吉郎監督下の明治大学に第一期黄金時代をもたらした。1956年に土井とともに大洋に入団、1年目から25勝を挙げ、新人王を獲得した。以降、エースとして活躍し、9年連続で2桁勝利を記録した。入団から9年連続50試合以上登板はプロ野球記録。1960年には21勝10敗、防御率1.75でチーム初優勝の原動力となり、最優秀選手 (野球) MVPを獲得した。1962年には72試合登板、26勝の自己最多を記録。1967年のシーズンをもって現役を引退した。
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