田宮謙次郎の出身高校
田宮謙次郎 プロ野球選手
- 田宮謙次郎卒業高校
- 下館第一高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1679位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1928年2月11日生まれ
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - )は、茨城県 下館市(現在の筑西市)生まれ。昭和中期から後期(1950年代-1970年代前半)のプロ野球選手、プロ野球監督。左投左打。外野手、投手。元下館市市議会議員。2002年野球殿堂入り。下館商業高校出身。日本大学を中退後、1949年、阪神タイガースに入団。投手として入団し、この年は11勝をマークした。翌1950年には9回2アウトまでパーフェクトピッチングの、「準完全試合」を記録。この1本のヒットにより、日本初の完全試合達成を逃している。その後肩の故障のために1952年途中から外野手に転向。1956年から3年連続打率3割以上をマーク。1958年には首位打者を獲得し、大型新人長嶋茂雄の三冠王を阻んだ。しかしこの年のオフ、A級10年選手の権利を行使し大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に移籍。山内一弘、榎本喜八らとともに「ミサイル打線」の中心選手として活躍。 1960年のリーグ優勝に貢献した。
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