湯浅禎夫の出身高校

湯浅禎夫 プロ野球選手

湯浅禎夫卒業高校
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868位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1902年10月2日生まれ

湯浅 禎夫(ゆあさ さだお、1902年10月2日~1958年1月15日)は、鳥取県出身。大正から昭和中期(1920年代前半-1950年代前半)のプロ野球選手、プロ野球監督。旧制米子中学→明治大学出身。明大では東京六大学野球連盟 東京六大学リーグ戦の主戦投手として活躍し、1923年のリーグ初優勝を初め、1925年には秋季リーグだけで立教大学、東京大学を相手に2度のノーヒットノーランを達成するなど記録を残す。卒業後、大阪毎日新聞 大阪毎日新聞社(現・毎日新聞大阪本社)に入社。同社が運営していたセミプロ野球団・大毎野球団に入団して投手陣の一翼を担ったほか、球団解散後は同紙運動部のスポーツ記者となって活躍した。1950年、その毎日新聞が運営してパシフィック・リーグに加盟した千葉ロッテマリーンズ 毎日オリオンズの結成に参加(毎日新聞社からの出向)し、選手兼任監督 総監督兼任投手として活躍。特に同年11月5日に西宮球場で施行されたオリックス・バファローズ 阪急ブレーブスとの対戦では48歳1ヶ月で先発登板。阪急の浜崎真二監督兼投手(48歳11ヶ月)と投げあい、2人合せて実に96歳の最長老投手対決を実現させる。

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