水野晃樹の出身高校

水野晃樹 プロサッカー選手

水野晃樹卒業高校
静岡市立清水商業高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
プロサッカー選手ランキング
563位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1985年9月6日生まれ

水野 晃樹(みずの こうき、1985年9月6日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジェフユナイテッド市原・千葉所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。

サッカー選手の鈴木啓太は従兄。元サッカー選手の水野和樹は兄。

静岡県清水市(現在の静岡市)生まれ。小学校時代は清水FCに所属。清水商業高校に進学し、高校2年次には高校総体に出場し、ベスト4に進出する。同高校総体では、2回戦(国士舘)、3回戦(玉野光南)、準々決勝(渋谷教育幕張)などで3試合連続得点を挙げるも、準決勝では平山相太擁する国見高校に敗れた。高校卒業後の2004年、ジェフユナイテッド市原(当時)に入団。

2004年7月にレアル・マドリード戦に出場し、10月17日の清水エスパルス戦で後半37分から出場しトップ初出場を果たす。12月にU-20日本代表に選出され、2005年6月のFIFAワールドユース選手権(オランダ)ではメンバーに選出。本戦ではグループステージで3戦連続途中出場。初戦のオランダ戦では平山の得点をアシストし、第2戦のベナン戦では同点となるフリーキックを決めた。決勝トーナメントの初戦・モロッコ戦では先発出場を果たした。

2007年、ジェフ千葉では阿部勇樹の退団により、コーナーキックやフリーキック等、全てのセットプレーのキッカーを任され、チーム最多の9得点を挙げた。A代表では3月24日のペルー戦でのメンバーに初招集され、後半40分から初出場を果たす。

2008年1月、セルティックFCへの移籍が決定し、3年半の契約を結んだ。しかし、2007-2008シーズンは1度もトップチームでプレーできず、ジェフ時代の恩師であるイビチャ・オシムに電話で叱られたという。先輩である巻誠一郎にも何度か叱られたことがある。一年後の12月21日、スコティッシュ・プレミアリーグ第19節 対フォルカーク戦に初先発しフル出場。後半44分、中村俊輔からのパスをセンターサークル付近で受けると、約40m独走して初ゴールを決めた。なお、このゴールの際に過剰なゴールパフォーマンスとして、初のイエローカードも受けている。2009-2010シーズンにおいては、「今後の人生がかかっている」と語っていたが公式戦は2試合のみの出場に止まった。セルティック在籍期間の2年半で公式戦出場はわずか12試合。移籍前にはレギュラーを務めていた北京五輪代表から落選するなど、海外への挑戦は厳しい結果に終わった。

出場機会を求め、FIFAワールドカップによるリーグ中断期間中の2010年6月に、J2の柏レイソルに移籍。しかし、国内復帰戦となった古巣ジェフ千葉戦で右膝を負傷。前十字靭帯損傷で全治約6ヶ月の診断を受けた。レイソルがJ1復帰を決めた2011年は、10試合出場。2012年は、地元の清水エスパルス戦で途中出場し、移籍後初ゴール決めた。同年11月1日は湘南との練習試合で右大腿という負傷を負って4週間診断を受けるなど、苦しいシーズンを経た。

2013年、J1に昇格したヴァンフォーレ甲府に移籍。開幕直前にかかとを負傷。第4節の川崎フロンターレ戦で復帰し移籍後初出場を果たすと、第5節の大分トリニータ戦では決勝点をアシストしチームにシーズン初勝利をもたらした。しかしその後はかかとの痛みに耐えながらのプレーが続き、第9節のジュビロ磐田戦では左足の靭帯を損傷し6週間の離脱と発表された。そのようにシーズン序盤に負傷が続いたことでコンディションが整わないため出場機会が増やせず、リーグ戦出場19試合(うち先発出場は5試合)、無得点に終わるなど不本意な結果となった。

2014年は開幕から好調を維持し、第2節のFC東京戦ではクリスティアーノのゴールをアシストしている。同年11月28日、契約満了に伴い退団することが発表された。 その後、Jリーグ合同トライアウトに出場し、同年12月に8年振りにジェフユナイテッド市原・千葉への復帰が発表された。

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