武末悉昌の出身高校
武末悉昌 プロ野球選手
- 武末悉昌卒業高校
- 筑紫丘高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 233位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1922年10月4日生まれ
武末 悉昌(たけすえ しっしょう 1922年10月4日生-1998年6月2日)は福岡県出身のプロ野球選手。右投右打の投手。福岡県立筑紫丘高等学校 旧制 筑紫中学(現・福岡県立筑紫丘高等学校)を卒業後、野球を続けるために旧満州に渡り、大連高等商業を経て、満協中央銀行に入る。その後、帰国し、福岡銀行、杵島炭坑、西日本鉄道の野球部で活躍するが時あたかも太平洋戦争。1944年に召集令状を受け取り応召する。軍隊生活の間に投手の命というべき肩を痛めてしまう。1945年・終戦。復員後、アンダースローに転向。これが運命を決定的に変える。1949年、黄金時代を迎えつつあった鶴岡一人 山本(鶴岡)一人監督率いる福岡ソフトバンクホークス 南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。1年目に21勝17敗の好成績で最優秀新人 (野球) 新人王・最多奪三振を獲得。現在の渡辺俊介まで続く、アンダースローの元祖と呼ばれる。翌年のリーグ分裂・新規球団多数参入に際して西武ライオンズ 西鉄クリッパーズ(現・西武ライオンズの母体)に移籍。チーム勝ち頭となる12勝あげる。
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