梅野隆太郎の出身高校

梅野隆太郎 オリンピックメダリスト

梅野隆太郎卒業高校
福岡工業大学附属城東高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
オリンピックメダリストランキング
14位 / 31人中 オリンピックメダリスト別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1991年6月17日生まれ

梅野 隆太郎(うめの りゅうたろう、1991年6月17日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(捕手)。阪神入団後の愛称は「梅ちゃん」。

福岡県筑紫郡那珂川町出身。草野球に親しんでいた父の影響から、小学校2年生の時に、父がコーチを務めるリトルリーグ加盟の少年野球チーム「片縄ビクトリー」へ第27期生として入団。入団当初のポジションは外野手だったが、小学校4年生から捕手に転向した。

中学生時代には、ジャパンリーグ(日本硬式野球連盟)に加盟する「那珂川シャークス」に第19期生として所属。在籍中の2005年・2006年に春季ジャパンリーグで2年連続優勝を果たすなど、「4番・捕手」としてチームを数々の大会で優勝に導いた。

福岡工大城東高校へ特待生として入学し、1年生の夏にベンチ登録を勝ち取ると、1年生の秋から2年生の夏まで再び外野手としてプレー。2年生の秋からは、捕手へ復帰するとともに主将を務めた。在校中には公式戦で通算24本塁打を放ったが、春夏を通じて全国大会とは無縁であった。2011年に高校から直接阪神に入団した中谷将大は1年後輩で、在校中には梅野と同じく外野手から捕手に転向している。

2009年のドラフト会議で指名される可能性もあったが、「下位指名でプロ野球に入れたとしても、身体もできていないし勝負できない」という理由で、地元の福岡大学への進学を決めた。

福岡大学への進学後は、1年生の春から九州六大学野球のリーグ戦へ出場。在学中には、チームを2012年春から4季連続の全国大会出場へ導くとともに、リーグ戦通算で28本塁打と3割以上の打率を記録した。また、3年生からは主将を任された。ちなみに、宮崎梅田学園自動車学校での勤務を経て2015年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズの6巡目指名を受けた信楽晃史投手とは同級生で、在学中にバッテリーを組んでいる。

大学4年生だった2013年には、第39回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出。大学に続いて主将を務めた。

2013年のドラフト会議で、阪神から4巡目指名を受けて入団。高校の後輩の中谷と再びチームメイトになった。担当スカウトは田中秀太で、背番号は「44」。指名後の同年11月8日には、ヤフオクドームの九州大学野球選手権決勝で日本文理大学に勝利。この勝利によって、第44回明治神宮野球大会へ九州代表として出場した。同大会では、八戸学院大学との1回戦(11月16日)に「4番・捕手」として出場。ソロ本塁打を含めて3安打を放ったが、チームは2-6で敗退した。

2014年には、自身を含めて9人もの支配下登録捕手がいるチーム状況にありながら、新人選手でただ1人公式戦の開幕を一軍で迎えた。開幕戦であった3月28日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)で、7回表に代打でプロ初出場。その裏の守備から試合終了までマスクをかぶる と、3月30日の同カードでは代打でプロ初安打、4月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では代打でプロ初本塁打を放った(詳細後述)。6月7日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、同期入団で同い年の岩崎優とバッテリーを組んで先発。阪神では2002年の安藤優也 - 浅井以来12年振りに、新人同士のバッテリーで一軍公式戦への出場を果たした。岩崎とのバッテリーで臨んだ7月5日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では、阪神の一軍公式戦では1983年の御子柴進 - 木戸克彦以来31年振りの新人バッテリーによる勝利を達成。レギュラーシーズン全体では、阪神の捕手で最も多い92試合の出場で、打率.197、7本塁打、捕逸0という記録を残した(詳細後述)。チーム事情でベテラン捕手(鶴岡一成・藤井彰人)の起用を優先した終盤に出場機会が減少したものの、シーズンを通じて一軍に帯同。チームのシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、日本シリーズの第2戦(10月27日・甲子園球場)に、阪神の新人捕手としては1985年の嶋田宗彦以来のシリーズ出場を果たした。さらに、シリーズ終了後の11月11日に甲子園球場で開催の「日本プロ野球80周年記念試合」では、阪神・巨人連合チームの捕手としてスタメンに起用。同月21日には、推定年俸1800万円(960万円増)で契約を更改した。

2015年には、一軍で開幕戦から13試合続けてスタメンマスクを任された。その間にチームが6連敗を喫したことや、配球面での課題が露呈したことから、4月中旬以降は出場機会が減少。打撃面でも打率.239、2本塁打と低迷したため、5月24日に入団後初めて出場選手登録を抹消された。その後も、2度にわたって一軍と二軍を往復。8月中旬から再び一軍に定着したが、鶴岡・藤井との併用策から脱し切れなないまま、レギュラーシーズンを終えた。ポストシーズンでは、チームのシーズン3位によって進出した巨人とのクライマックスシリーズ ファーストステージ(東京ドーム)では、第1戦(10月10日)と第3戦(12日)に捕手として出場。スタメンに起用された第1戦では、7回表に適時打を放つなど3安打1打点を記録した(チームは同ステージ1勝2敗で敗退)。しかし、レギュラーシーズンの一軍公式戦で56試合出場、打率.239、4本塁打という成績にとどまったことから、11月20日には推定年俸1500万円(300万円減)で契約を更改している。

二塁送球が平均で1.9秒の強肩。打撃面ではスイングスピードが速く、逆方向への打球が伸びる。

捕手でありながら、プロ1年目の2014年に、一軍の公式戦で7本塁打を記録したほどの長打力の持ち主。梅野と同様に、大学出身の捕手として新人時代から阪神の一軍で活躍した田淵幸一からは、「(現役時代の背番号である)22番を付けられるように頑張れ」というエールを送られている。

また、2014年には、捕手としての出場試合数が規定試合数[注釈 1]に達した選手でただ1人捕逸0でシーズンを終了。セントラル・リーグでシーズンの規定試合数を満たした捕手では、1979年の水沼四郎(広島東洋カープ)以来35年振りの捕逸0であった。

小学校4年生だった2001年の時、母がガンのため34歳で死去した。父は、母が余命2か月の宣告を受けた後に残した「隆太郎をプロ野球選手にして下さい」という遺言どおりに、内装業を営みながら男手一つで梅野と弟を育て上げた。このエピソードは、2013年のドラフト会議当日(10月24日)にTBS系列で放送された『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(TBS制作)で、梅野父子への取材映像などを通じて紹介された。梅野が阪神から指名されたのは、当番組の生中継に出演している最中のことであった。ちなみに、阪神でプロ初安打を放った際の記念球は、母の墓前に供えられた。

2014年には、前述した新人記録に加えて、阪神の新人選手としては久し振りに一軍公式戦での本塁打記録を次々と達成。阪神球団では6月20日から、下位指名の新人選手では異例のプロジェクトとして、梅野のプロデュースによる公式グッズを発売した。

梅野隆太郎の関連人物

オリンピックメダリスト偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

オリンピックメダリスト偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング