松山善三(まつやまぜんぞう、1925年4月3日-)は昭和・平成期の映画監督、脚本家。神戸に生まれ、横浜で育つ。1944年、横浜第三中学校(現・神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校)卒業後、岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)に入学するが、1946年中退。雑誌社でアルバイトをしているときに、斎藤良輔門下の脚本家と知り合い、映画に興味を持つ。1948年、助監督公募に合格して松竹大船撮影所助監督部に入社する。中村登、吉村公三郎につくかたわら、斎藤武市、中平康らと「赤8会」というグループを作り、同人雑誌に脚本 シナリオを発表する。それが、木下恵介に認められ、1950年の『婚約指輪』で木下監督につき、次の『カルメン故郷へ帰る』からは、シナリオの口述筆記に携わった。この「木下学校」の兄弟子に小林正樹や川頭義郎がいる。あらかじめ作った構成にこだわらない木下流の書き方をここで会得することになる。
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