春風亭昇太の出身高校
春風亭昇太 落語家
- 春風亭昇太卒業高校
- 東海大学付属翔洋高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
- 落語家ランキング
- 74位 / 129人中 落語家別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 血液型
- O型
春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた)は、落語家の名。先代は前座の時に名乗っただけであるため、代数をつけて呼ぶことはない。
春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた、本名:田ノ下 雄二(たのした ゆうじ)、1959年12月9日 - )は、静岡県静岡市清水区(旧・清水市)出身の落語家。5代目春風亭柳昇の弟子。大師匠は“春風亭の先生”こと6代目春風亭柳橋。前座名は、春風亭 昇八。愛称は「ちび師匠」。落語芸術協会に所属。現在同協会理事。出囃子は『デイビー・クロケット (The Ballad of Davy Crockett)』。血液型はO型。定紋は『五瓜に唐花』または『クラゲ』。
師の春風亭柳昇は、自身の身体的特徴もあり(落語の道に入る前、兵役中の負傷で手の指を数本欠いていた)、新作落語専門で大成した人物であったが、弟子たちは新作派(昔昔亭桃太郎)、古典派(9代目春風亭小柳枝、瀧川鯉昇)とバラエティに富む。昇太は新作が売物であるが、古典もかなりの量を手掛けている。ただし、誰とも似ていない昇太流の強烈なアレンジが施されている。
また、もともとテレビの視聴者参加番組から出てきて弟子入りしたという経緯もあるが、テレビ活動に力を入れるところも師・柳昇譲りである。
昇太は前述のごとく6代目春風亭柳橋の一門で、柳派であってもルーツは春風亭柳枝(4代目とそれ以前の)。同じ春風亭であっても、春風亭小朝はその大師匠林家彦六の一門で、3代目柳家小さんの系統。彦六が小朝の師匠・5代目春風亭柳朝の真打昇進時に6代目柳橋から「柳朝」の名跡を譲り受けた経緯があるものの、昇太と小朝の間には一門の関係はない。
東海大学第一高校を卒業。高校時代はソフトボール部に所属していた。1978年(昭和53年)東海大学文学部に入学し、ラテンアメリカ研究会に入ろうとして部室を訪ねたが、たまたま留守で、隣の部室だった落語研究部の先輩に「ここで待ってれば?」と声を掛けられて部室に招き入れられ、稽古等を見ていて「楽しそうなので」入部(同時に学生プロレスのリングアナ兼、実況として活躍)。落研時代の高座名は「頭下位亭切奴」(とうかいてい きりど)。名前の由来は、突然部室にやって来た一年生に上級生が「ドッキリした」ことから、「ドッキリ → きりどっ → きりど」となったという。学生時代にテレビ東京の『大学対抗落語選手権』にて優勝、落研の先輩のすすめでテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に漫才コンビ、ザ・まんだらーずとして出演。初代グランドチャンピオンになったのを期に大学を中退し、1982年(昭和57年)、春風亭柳昇に入門した。
前座時代より『演芸ひろば』司会など、テレビに多数出演している。なお、前座名の昇八は、柳昇の8番弟子であることから付けられている(林家彦六の9番弟子である林家九蔵とほぼ同様の理由)。師匠が新作落語の名手と謳われた柳昇ということもあり、同じく新作落語を活動の中心に置き、「悲しみにてやんでい」など型破りな新作落語で人気を得た[注釈 1]。
1986年(昭和61年)に二つ目に昇進、春風亭昇太となった。
1989年(平成元年)にNHK新人演芸コンクール優秀賞受賞、1992年(平成4年)に席亭推薦による抜擢で真打に昇進した。7人抜きの昇進だった。
1998年(平成10年)に平成9年度の浅草芸能大賞新人賞受賞。
2000年(平成12年)の独演会「古典とわたし」など独自の解釈を加えた古典落語にも挑戦する(二つ目時代すでに独演会で古典落語に挑戦し、昇太風アレンジを加えた「初天神」を披露している)。同年国立演芸場花形演芸大賞、文化庁芸術祭大賞受賞。
2003年(平成15年)、柳家喬太郎らとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げした。SWAでの背番号は「4」。同年、タレントの松尾貴史、マジシャンのパルト小石(ナポレオンズ)、コメディ作家の須田泰成らと、東京都世田谷区のバー「bar-closed」の共同経営をはじめた。
2005年(平成17年)には落語を題材にしたテレビドラマ『タイガー&ドラゴン』に出演し、自ら出演俳優らに落語の演技指導も行った。同年10月からは『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを務める。また伊東四朗と三宅裕司を中心に2004年に結成された演劇ユニット熱海五郎一座に参画、その後の作品に出演を続ける。
2006年(平成18年)1月8日には、毎日放送制作のドキュメンタリー番組『情熱大陸』で特集された。落語家によるデキシーバンド「にゅうおいらんず」でトロンボーンを担当(師匠・柳昇も、噺家になる前の会社勤めをしていた頃に、勤務先の吹奏楽団でトロンボーンを吹いていた)。SWA(創作話芸アソシエーション)の一員であると同時に、東西落語界の壁を超えた六人の会の一人である。
2006年5月より、日本テレビ『笑点』の大喜利メンバーに加入した。 4代目司会者の故5代目圓楽が勇退し、5代目圓楽の後継で歌丸が回答者から5代目司会者になったため、歌丸の後継で玉突きでレギュラー入りし、事実上の勇退(後に死去)した5代目圓楽の後継の役目も行っている。回答席は歌丸の後継だが、着物は歌丸が薄緑(後に濃緑)を続けたため銀鼠の着物を着用。歌丸休演時はレギュラー大喜利でも司会を務めたこともある。
演芸コーナーで若手大喜利を放送していた頃には大喜利メンバーの1人として出演していたことがあり、1990年代後半に入ってからは大喜利下剋上(若手大喜利)の司会を務めるようになった(『BS笑点』→『笑点Jr.』での総合司会につながる)。大喜利メンバーの新加入年齢では、4代目三遊亭金馬の41歳を抜いて歴代最高齢である(46歳)。 5代目三遊亭圓楽とは1999年1月1日放送の師弟大喜利で昇太が司会者で5代目三遊亭圓楽と三遊亭愛楽が師弟で回答者、林家こん平とは同師弟大喜利で林家こん平と林家たい平が師弟で回答者として出演して共演している。 こん平とは2009年11月8日の5代目圓楽追悼特番ありがとう圓楽さんで共演(こん平が杖を突いて出演)したことがある。5代目圓楽追悼特番では師弟大喜利で故5代目圓楽と昇太が笑点で共演で絡んだことがあったことや、5代目圓楽が弟子を思うばかりに小言を言ってしまう素晴らしい師匠だった旨などが紹介された。 加入して日が浅い頃には奇をてらうことのない答えが多く、答えた後に会場が一瞬沈黙状態になることもあった。喋る途中で呂律が回らない、舌を噛むという師匠柳昇と同様の欠点があり、「カミカミ王子」を自虐ネタとしている。歌丸司会時代では座布団10枚を3回経験している一方で、6代目円楽(前名楽太郎)が率いるブラック団の一員として団長の6代目円楽以上に毒のきつい歌丸罵倒ネタを時折言い放つこともあることから、「一度の座布団剥奪の最高記録(9枚)」という不名誉な記録も持っている。
兄弟番組の『笑点Jr.』では、『BS笑点』としてスタートしてから放送終了に至るまで総合司会を務め、ハキハキと取り仕切る様が映る。大喜利でも司会を務めるが威厳を敢然と振りかざすには至らず、メンバーに振り回される様子もしばしば映る。
他
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