川越達也の出身高校
川越達也 その他
- 川越達也卒業高校
- 本庄高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
- その他ランキング
- 120位 / 179人中 その他別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1973年3月7日生まれ
- 血液型
- O型
川越 達也(かわごえ たつや、1973年3月7日 - )は、日本の料理人、タレント。株式会社タツヤ・カワゴエ代表取締役。
宮崎県東諸県郡国富町出身。血液型O型。宮崎県立本庄高等学校出身。
大阪あべの辻調理師専門学校ではフランス料理を専攻する。卒業後、大阪・北新地のフランス料理店で働くが、バブル崩壊の影響で勤めて2年程で閉店することになり、その店主の紹介で神戸の料理店へ転職。そこで阪神・淡路大震災に遭い、店と住居が被災したことで1か月後上京し、東京のウィークリーマンションに住み喫茶店・飲食店でアルバイト経験を重ねた。飲食店経験としては、大阪でお好み焼き店をやっていた時期があったり、日本料理店などで修行を重ねていた。
その最後となったイタリア料理店では通常の料理提供以外にも隣接するカラオケボックスでも注文を受け料理を提供していたことで客層は幅広かったこともあり、ここで評価されればチャンスがあると川越は考え、修行を重ね腕を磨いていった。そして、客の一人としてカラオケボックスに来店したシェフから料理を高く評価された事で、1997年7月にそのシェフが携わるレストランの新店舗に料理長として抜擢され、その後2店舗で料理長を歴任した。1998年9月3日放送の『TVチャンピオン イタリアンシェフ日本一決定戦』(テレビ東京系列)に出演したが、予選のパスタ対決で4人中最下位(50点満点中34点、他は41点・46点・44点)となり最初に脱落。大敗したものの「10年後楽しみにしてて下さい」というコメントを残した。2000年に独立し創作イタリアン「ティアラ・K・リストランテ」を開店。開店当初は予約や客が入らず、店を維持するために営業終了後に深夜のアルバイトを行ったり、近所のパチンコ店に通ったり、借金が膨れ上がった時期もあった。
2006年、「TATSUYA KAWAGOE」に改称し代官山へ移転、オーナーシェフを務める。同店は2か月先まで予約が一杯である。同店は川越によって時期は明らかにされていないが無期限休業する方針が示されており、理由として「40代に向け自分をもっと成長させたい」との説明が行われている。 ソロモン流放映後、本人のブログで「僕が伝えたい事はゼロでした。勘違いしないでくださいね。僕、店は辞めませんよ。」と閉店は否定している。
料理人としての活動の他、フードコーディネーター、料理講師としても活動している。また、知人である料理人の吉岡英尋(日本料理「なすび亭」)、枡谷周一郎(イタリア料理「オステリア ルッカ」)、笠原将弘(日本料理「賛否両論」)と共にコラボレーショングループ「CESSA(セッサ)」を結成し、和食店を立ち上げたり、若手料理人数十名とチャリティーディナー会を開催するなどグループを中心とした活動を積極的に展開していた。この活動が更に進展し、弟分4人で立ち上げた「タクマ」組を応援する意味も込めて、既存の「セッサ」組と合わせ『セッサ・タクマ』という8人組のシェフ集団に発展させて、活動の幅を増やす展開を行っている。
2012年4月25日に「お米のおはなし/カレーライス学校」でCDデビュー(「川越シェフ」名義)。同年11月19日に、EXILEのKEIJIとのコラボレーション商品「男が絶対よろこぶ 男(DAN)シチュー」「君と食べたい 女(JO)シチュー」を発売。
「ジャンルにとらわれず、常に新しい素材やレシピに挑戦する独自のスタイル」や「ジャンルにとらわれない、斬新でオリジナルな料理」が評価され、食品・外食業界でキムチ・パスタ・ファーストフード・コンビニ商品・パチンコ端玉景品など複数の監修商品が発売されている。
川越のこういった活動や対応に対して批判的な意見も存在する。
料理ライターを名乗る友里征耶は、「私は1度、店を訪れましたが、料理はデパ地下の総菜レベル。きちんとした店で修業していないのだから無理もありません。多分、ご本人もそれを理解しているからこそ、味ではなく雰囲気で見せているのだと思います。テレビ受けがいいのは、しゃべれる料理人は珍しいからでしょう。芸人とトークできる“プロ”の料理人はいませんから」と推測している。
幅広い活動に対し「手を広げ過ぎではないか」という料理界関係者の意見も多い。また、川越がメディア側を軽んじる対応をしたことから、関係者から不満が述べられていた。
その他偏差値ランキング
職業から有名人の出身卒業高校を探す
その他偏差値ランキング